年月日 | スポット名 | 概要 | 内容 |
0001/00/00 | 四万十町大正 | 1億5千年前~紀元前の歴史 | 1億5千万年前 放散虫類の化石発見(芳川・烏手) 1億年内外前 スリッケンサイド(つづら川) 十万年前 二枚貝の化石発見(四手の川) 紀元前8000年ころ 石ヤジリの発見(田野々森の駄馬) 紀元前2000年ころ 麿製石斧の出土(下津井と梼原町松原の郡境) 紀元前1000年ころ 石ヤジリとスクレイパーの発見(江師) 紀元前100年ころ 環状石斧発見(中打井川) |
0800/00/00 | 四万十町窪川 | 800年(延暦19年) | このころ高岡神社が建てられる |
0826/00/00 | 四万十町窪川 | 826年(天長3年) | 福円満寺が建てられる |
0835/00/00 | 四万十町窪川 | 835年(承和2年) | 高岡郡が吾川郡から分離する |
1190/00/00 | 四万十町大正 | 1190年(建久1) | 紀州熊野の田那部永旦、田野野に上山城を築き上山郷を統治する |
1192/00/00 | 四万十町大正 | 1192年(建久3) | 熊野神社、長楽寺できる |
1250/00/00 | 四万十町窪川 | 1250年(建長2年) | 幡多郡九条氏の荘園となる |
1332/00/00 | 四万十町大正 | 1332年(正慶1) | 尊良親王の家来葉田道文、打井川で病死し、後年、道文神社としてまつる |
1335/00/00 | 四万十町窪川 | 1335年(建武2年) | 志和薬師寺が建てられる |
1370/00/00 | 四万十町窪川 | 1370年(応安3年) | 南部高忠松葉川に来住する |
1474/00/00 | 四万十町大正 | 1474年(文明6) | 田野々に五松寺ができる |
1480/00/00 | 四万十町窪川 | 1480年(文明12年) | 西原氏窪川郷西原村に来住する |
1492/00/00 | 四万十町窪川 | 1492年(明応元年) | 西原氏中江城に移る、窪川氏茂串山に拠る(このころ中西権七活躍する) |
1532/00/00 | 四万十町大正 | 1532年以降(天明年間) | 下津井左京之進、一条家より領地をもらい下津井にくる |
1545/00/00 | 四万十町窪川 | 1545年(天文14年) | 津野氏一条基房に敗れる、仁井田五人衆一条氏の配下となる |
1589/00/00 | 四万十町窪川 | 1589年(天正17年) | 仁井田郷検地完了する |
1590/00/00 | 四万十町大正 | 1590年以降(天正18) | 長宗我部元親、土佐の国の検地をはじめる このころ上山郷を数十の村に分ける |
1595/00/00 | 四万十町窪川 | 1595年(文禄4年) | 仁井田五人衆がすべて亡ぶ |
1597/00/00 | 四万十町大正 | 1597年(慶長2) | このころより庄屋制度がとられる |
1603/00/00 | 四万十町窪川 | 1603年(慶長8年) | 山内氏窪川を治め始める |
1605/00/00 | 四万十町窪川 | 1605年(慶長10年) | 仁井田庄、仁井田郷と呼ばれる |
1613/00/00 | 四万十町大正 | 1613年(慶長18) | 郷士制度がとられる |
1614/00/00 | 四万十町大正 | 1614年ころ(慶長年間) | 北ノ川城築く、城主は北出羽左衛門重正 |
1616/00/00 | 四万十町窪川 | 1616年(元和2年) | 一国一城制となり古渓山の城を壊す |
1692/00/00 | 四万十町窪川 | 1692年(元禄5年) | 窪川山内四代勝定病死在番役来る |
1716/00/00 | 四万十町窪川 | 1716年(享保元年) | 山内氏断絶し在番を置く |
1718/00/00 | 四万十町大正 | 1718年(享保3) | 上山郷の戸数517戸、人口2094人 |
1722/00/00 | 四万十町窪川 | 1722年(享保7年) | 仁井田窪川郷士制度が始まる |
1725/00/00 | 四万十町大正 | 1725年(享保10) | 唐箕はじめて伝わる(それまでは手箕) |
1727/00/00 | 四万十町大正 | 1727年(享保12) | 稲こき金箸はじめて伝わる(それまでは竹べら製) |
1759/00/00 | 四万十町大正 | 1759年(宝暦9) | もみする土臼はじめて伝わる、上山郷では木臼を使うところもあった |
1770/00/00 | 四万十町窪川 | 1770年(明和7年) | 甲把瑞益「仁井田郷談」をあらわす |
1790/00/00 | 四万十町窪川 | 1790年(寛政2年) | 窪川在番役を廃止し奉行をおく |
1825/00/00 | 四万十町窪川 | 1825年(文政8年) | 庄屋制となり自治制となる |
1837/00/00 | 四万十町窪川 | 1837年(天保8年) | 谷干城が生まれる |
1863/00/00 | 四万十町窪川 | 1863年(文久3年) | 海防のため興津、志和に民兵を派遣する |
1870/00/00 | 四万十町窪川 | 1870年(明治3年) | 庄屋制を廃止し郡制となる |
1871/00/00 | 四万十町大正 | 1871年(明治4) | 庄屋制度をやめ、4月より郷制をしき、郷長がこれをおさめる。6月郷長を戸長とあらため、9月区制をしき、幡多を33区に分ける。上山郷は六区となり、戸長をおき田野々に区務所ができる。10月に戸長を村長と改める。 |
1871/00/00 | 四万十町窪川 | 1871年(明治4年) | 郡制を施行する |
1874/00/00 | 四万十町大正 | 1874年(明治7) | 田野々駅郵便取扱所ができる(大正郵便局のはじまり) |
1875/00/00 | 四万十町大正 | 1875年(明治8) | 区制をやめ大小区制をしき、第十六区の六小区となる(幡多を三つの大区に分ける)。郷中に巡回授業所(20か所)できる。22の村が集まって組合戸長役場を田野々におく。 |
1875/00/00 | 四万十町窪川 | 1875年(明治8年) | 郡制を廃止し、大区小区となる、はじめて小学校ができる(仁井田小学校) |
1876/00/00 | 四万十町大正 | 1876年(明治9)ころ | 田野々に小学校授業所ができる。中津川に小学校の分校ができる。 |
1879/00/00 | 四万十町大正 | 1879年(明治12)ころ | 郷中に小学校分教場、家庭教育場(9か所)ができる |
1884/00/00 | 四万十町大正 | 1884年(明治17) | 北ノ川と大奈路に小学校授業所ができる |
1885/00/00 | 四万十町大正 | 1885年(明治18) | 高知山林事務所田野々派出所できる(大正営林署のはじまり) |
1888/00/00 | 四万十町大正 | 1888年(明治21) | 下津井小学校ができる。 |
1889/00/00 | 四万十町大正 | 1889年(明治22) | 町村制により22か村が合併して東上山村となる。 |
1889/00/00 | 四万十町窪川 | 1889年(明治22年) | 町村制を施行する、仁井田、東又、窪川、与津村が生まれる |
1890/00/00 | 四万十町大正 | 1890年(明治23) | 大水害あり。熊野神社などを流失。その他の被害も甚大。 |
1895/00/00 | 四万十町大正 | 1895年(明治28) | 下道家庭教育場ができる |
1896/00/00 | 四万十町窪川 | 1896年(明治29年) | 窪川高等小学校設立する |
1897/00/00 | 四万十町大正 | 1897年(明治30) | 下岡小学校打井川分校ができる |
1897/00/00 | 四万十町窪川 | 1897年(明治30年) | 電信機入る(仁井田局)、石油ランプ灯り始める |
1899/00/00 | 四万十町窪川 | 1899年(明治32年) | 鰤大敷網組合設立(志和) |
1902/00/00 | 四万十町大正 | 1902年(明治35) | 田野々小学校芳川分教場ができる |
1904/00/00 | 四万十町窪川 | 1904年(明治37年) | 松葉川用水トンネル(野村成満)、下呉地松葉川県道開通する |
1907/00/00 | 四万十町窪川 | 1907年(明治40年) | 物品購売組合が生まれる、窪川女子実業学校が設立される |
1914/00/00 | 四万十町大正 | 1914年(大正3) | 東上山村を大正村と改める。葛籠川分教場設置。郡道山中線葛籠川まで開通する。 |
1921/00/00 | 四万十町窪川 | 1921年(大正10年) | 産業組合設立、興津線が着手される、乗合自動車運行(久礼窪川間) |
1922/00/00 | 四万十町大正 | 1922年(大正11) | 県道窪川~宇和島線開通する |
1923/00/00 | 四万十町大正 | 1923年(大正12) | 大正局で電話事務開始 |
1924/00/00 | 四万十町大正 | 1924年(大正13) | 窪川~吉野生間に野村乗合自動車が走る |
1925/00/00 | 四万十町大正 | 1925年(大正14) | 田野々消防組(私設)生まれる。国勢調査 大正村世帯数998(男2456人、女2193人) |
1925/00/00 | 四万十町窪川 | 1925年(大正14年) | 町内に電燈がつく、種蓄場(東又) |
1926/00/00 | 四万十町窪川 | 1926年(昭和元年) | 窪川町制施行する |
1928/00/00 | 四万十町大正 | 1928年(昭和3) | 田野々に鉄橋(大正橋)がかかる(工費105500円) |
1930/00/00 | 四万十町窪川 | 1930年(昭和5年) | 松葉川合同堰着工する |
1931/00/00 | 四万十町大正 | 1931年(昭和6) | 下道家庭教育場、大奈路小学校下道分校として設置される |
1934/00/00 | 四万十町大正 | 1934年(昭和9) | 林道芳川線、相去線、市ノ又線、葛籠川線開通 |
1935/00/00 | 一斗俵沈下橋:いっとひょうちんかばし | 架橋年度:昭和10年 | 一斗俵沈下橋:いっとひょうちんかばし |
1936/00/00 | 四万十町大正 | 1936年(昭和11) | 田野々にはじめて電燈がともる |
1936/00/00 | 四万十町窪川 | 1936年(昭和11年) | 家地川ダム完成する |
1940/00/00 | 四万十町大正 | 1940年(昭和15) | 村で最初の沈下橋、轟崎に完成。大奈路に無集配郵便局ができる。 |
1943/00/00 | 四万十町大正 | 1943年(昭和18) | 大正村折合部落、窪川町に編入のことを村議会承認。巡査部長派出所を田野々に設置。 |
1944/00/00 | 四万十町大正 | 1944年(昭和19) | 古味野々ダム完成。下津井線道路着工。 |
1945/00/00 | 四万十町大正 | 1945年(昭和20) | 芳川に営林署林道開通、芳川事業所ができる |
1946/00/00 | 四万十町大正 | 1946年(昭和21) | 窪川~吉野生間に省営トラック(バスの代用)が走る |
1947/00/00 | 四万十町大正 | 1947年(昭和22) | 町制をしき大正村を大正町とする。六三制施行により中学校ができる。 |
1947/00/00 | 四万十町窪川 | 1947年(昭和22年) | 農業協同組合を設立する |
1948/00/00 | 四万十町大正 | 1948年(昭和23) | 田野々の大火、537戸焼失する。 |
1948/00/00 | 四万十町窪川 | 1948年(昭和23年) | 久礼影野間鉄道開通、国鉄バス営業所完成、与津村を興津村と改称、興津燈台完成 |
1950/00/00 | 四万十町大正 | 1950年(昭和25) | 打井川沈下橋完成。国鉄バス下道まで運行する。国勢調査 世帯数1408(男3407人、女3270人) |
1951/00/00 | 四万十町大正 | 1951年(昭和26) | 大火焼失による大正町役場新築。四手の川沈下橋完成。田野々中村間に県交通バス乗入開始。大正中学校新築(前の田野々小学校)。町内最初の保育所を田野々に建築。 |
1951/00/00 | 四万十町窪川 | 1951年(昭和26年) | 窪川影野間鉄道開通、帰全農場本山より移転 |
1952/00/00 | 四万十町大正 | 1952年(昭和27) | 大正町森林組合設立。下津井渓谷、幡多十景(高知新聞社)に入る。中津川林道完成。 |
1953/00/00 | 四万十町大正 | 1953年(昭和28) | 江師沈下橋完成。大正町商工会設立。 |
1953/00/00 | 木屋ヶ内橋:きやがうちばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和28年 | 木屋ヶ内橋:きやがうちばし(沈下橋) |
1954/00/00 | 四万十町大正 | 1954年(昭和29) | 第一回大正町総合美術展開催。大奈路、北ノ川に町立保育所開設。県立窪川高等学校大正分校(定時制)開校。大奈路、北ノ川中学校新築。 |
1954/00/00 | 里川橋:さとかわばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和29年 | 里川橋:さとかわばし(沈下橋) |
1955/00/00 | 四万十町大正 | 1955年(昭和30) | 田野々地区に水道完成。国勢調査 世帯数1537戸(男3569人、女3518人) |
1955/00/00 | 四万十町窪川 | 1955年(昭和30年) | 町村合併 |
1955/00/00 | 屋内大橋:やないおおはし(通称:口屋内沈下橋) | 架橋年度:昭和30年 | 屋内大橋:やないおおはし(通称:口屋内沈下橋) |
1956/00/00 | 四万十町大正 | 1956年(昭和31) | 芳川分校独立して、芳川小学校となる。第一回農業祭開催。 |
1956/00/00 | 通称:中平沈下橋:なかひらちんかばし | 架橋年度:昭和31年 | 通称:中平沈下橋:なかひらちんかばし |
1957/00/00 | 四万十町大正 | 1957年(昭和32) | 打井川、上宮、北ノ川より南米パラグワイ・フラム地区へ集団移住(23戸159人)。上宮沈下橋完成。 |
1957/00/00 | 上宮橋:じょうぐうばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和32年 | 上宮橋:じょうぐうばし(沈下橋) |
1957/00/00 | 小崎沈下橋:こざきちんかばし | 架橋年度:昭和32年 | 小崎沈下橋:こざきちんかばし |
1957/00/00 | ナロノ橋(沈下橋) | 架橋年度:昭和32年 | ナロノ橋(沈下橋) |
1958/00/00 | 四万十町大正 | 1958年(昭和33) | 国鉄バス田野々下津井間の運行始まる。下津井つり橋完成。葛籠川小学校新築。大正町公民館を設置。 |
1958/00/00 | 一ノ瀬橋:いちのせばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和33年 | 一ノ瀬橋:いちのせばし(沈下橋) |
1959/00/00 | 四万十町大正 | 1959年(昭和34) | 大正中学校鉄筋三階建校舎完成。田野々小、旧大正中校舎へ移転。下津井中学校新築。 |
1959/00/00 | 勝間橋:かつまばし(通称:鵜ノ江沈下橋:うのえちんかばし) | 架橋年度:昭和34年 | 勝間橋:かつまばし(通称:鵜ノ江沈下橋:うのえちんかばし) |
1959/00/00 | 中古屋橋:なかこやばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和34年 | 中古屋橋:なかこやばし(沈下橋) |
1959/00/00 | 小津賀橋:こつがばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和34年 | 小津賀橋:こつがばし(沈下橋) |
1960/00/00 | 半家橋:はげばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和35年 | 半家橋:はげばし(沈下橋) |
1960/00/00 | 長生沈下橋:ながおいちんかばし | 架橋年度:昭和35年 | 長生沈下橋:ながおいちんかばし |
1960/00/00 | 川角橋:かわづのばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和35年 | 川角橋:かわづのばし(沈下橋) |
1960/00/00 | 沖下沈下橋:おきしたちんかばし(通称:上深田沈下橋:かみふかたちんかばし) | 架橋年度:昭和35年 | 沖下沈下橋:おきしたちんかばし(通称:上深田沈下橋:かみふかたちんかばし) |
1961/00/00 | 四万十町窪川 | 1961年(昭和36年) | 町内で有線放送開始、町役場新庁舎完成 |
1961/00/00 | タニガミ橋(通称:留ヶ奈路沈下橋:とめがなろちんかばし) | 架橋年度:昭和36年 | タニガミ橋(通称:留ヶ奈路沈下橋:とめがなろちんかばし) |
1962/00/00 | 四万十町大正 | 1962年(昭和37) | 芳川小学校僻地集会所建築。大正ダム立入調査始まる。同建設中止される。 |
1963/00/00 | 四万十町大正 | 1963年(昭和38) | NHK大正ラジオ中継所開局(田野々森の駄馬)。大奈路小学校鉄筋ニ階建て校舎完成。大正町内全小中学校に粉乳ミルク給食をはじめる。下道分校新築移転。 |
1963/00/00 | 四万十町窪川 | 1963年(昭和38年) | 佐賀窪川間鉄道完成、台風9号 |
1963/00/00 | 三里橋:みさとばし(通称:深木沈下橋:ふかきちんかばし) | 架橋年度:昭和38年 | 三里橋:みさとばし(通称:深木沈下橋:ふかきちんかばし) |
1963/00/00 | 向山橋:むかいやまばし(通称:上岡沈下橋) | 架橋年度:昭和38年 | 向山橋:むかいやまばし(通称:上岡沈下橋) |
1963/00/00 | 向弘瀬橋:むかいひろせばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和38年 | 向弘瀬橋:むかいひろせばし(沈下橋) |
1964/00/00 | 四万十町大正 | 1964年(昭和39) | 大正町有線放送局通話開始 |
1964/00/00 | 四万十町窪川 | 1964年(昭和39年) | 森林組合合併 |
1964/00/00 | 長野橋(沈下橋) | 架橋年度:昭和39年 | 長野橋(沈下橋) |
1964/00/00 | 久万秋橋:くまあきばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和39年 | 久万秋橋:くまあきばし(沈下橋) |
1964/00/00 | 寺野橋:てらのばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和39年 | 寺野橋:てらのばし(沈下橋) |
1965/00/00 | 四万十町大正 | 1965年(昭和40) | 窪川高等学校大正分校独立して大正高等学校となる。田野々小学校にプールが完成。 |
1965/00/00 | 若井沈下橋:わかいちんかばし | 架橋年度:昭和40年 | 若井沈下橋:わかいちんかばし |
1965/00/00 | 高樋橋:たかひばし(通称:大股沈下橋) | 架橋年度:昭和40年 | 高樋橋:たかひばし(通称:大股沈下橋) |
1965/00/00 | 清水大橋(沈下橋) | 架橋年度:昭和40年 | 清水大橋(沈下橋) |
1965/00/00 | 金刀比羅橋:こんぴらばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和40年 | 金刀比羅橋:こんぴらばし(沈下橋) |
1966/00/00 | 四万十町大正 | 1966年(昭和41) | 大正高等学校鉄筋ニ階建校舎完成。大正町消防団下津井分団発足。 |
1966/00/00 | 岩間大橋:いわまおおはし(沈下橋) | 架橋年度:昭和41年 | 岩間大橋:いわまおおはし(沈下橋) |
1966/00/00 | 第一三島橋:だいいちみしまばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和41年 | 第一三島橋:だいいちみしまばし(沈下橋) |
1966/00/00 | 上長瀬橋:かみながせばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和41年 | 上長瀬橋:かみながせばし(沈下橋) |
1967/00/00 | 四万十町大正 | 1967年(昭和42) | 北ノ川小学校鉄筋二階建校舎完成。NHK大正テレビ中継放送所開局。 |
1967/00/00 | 第二三島橋:だいにみしまばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和42年 | 第二三島橋:だいにみしまばし(沈下橋) |
1967/00/00 | 白王橋:しらおうばし(通称:松ヶ谷沈下橋まつがたにちんかばし) | 架橋年度:昭和42年 | 白王橋:しらおうばし(通称:松ヶ谷沈下橋まつがたにちんかばし) |
1968/00/00 | 四万十町大正 | 1968年(昭和43) | 大正中学校体育館完成。スクールバス中津川線運行開始。第一回振興祭開催。下津井簡易郵便局開局。 |
1969/00/00 | 四万十町大正 | 1969年(昭和44) | 学校統合により下道分校は大奈路小学校へ。芳川小・葛籠川小は田野々小学校に編入される。大正地区内、鉄道道床瀬里地区(トンネル・鉄橋を除き)ほぼ完成。古味野々橋完成。中津川鉄骨校舎完成。熊野神社の如来型立像、地蔵菩薩の二体が県文化財に指定される。 |
1969/00/00 | 四万十町窪川 | 1969年(昭和44年) | 農協合併はじまる |
1970/00/00 | 四万十町大正 | 1970年(昭和45) | 町内小中学校に学校給食を実施。県道猪ノ又線開通。国勢調査 世帯数1289戸(男2187人、女2399人) |
1970/00/00 | 四万十町窪川 | 1970年(昭和45年) | 窪川統合中学校発足、佐賀中村間鉄道・国道56号線開通 |
1970/00/00 | 新谷橋:しんたにばし(通称:芽吹手沈下橋:かやぶくてちんかばし) | 架橋年度:昭和45年 | 新谷橋:しんたにばし(通称:芽吹手沈下橋:かやぶくてちんかばし) |
1970/00/00 | 大平橋:おおひらばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和45年 | 大平橋:おおひらばし(沈下橋) |
1971/00/00 | 四万十町大正 | 1971年(昭和46) | 打井川中、北ノ川中に吸収統合される。大正町立研修保養センター江師に完成。林道片魚~四手の川線開通。町内公社電話の自動化はじまる。中央公民館鉄筋二階建落成(総工費56 |
1971/00/00 | 今成橋:いまなりばし(通称:佐田沈下橋) | 架橋年度:昭和46年 | 今成橋:いまなりばし(通称:佐田沈下橋) |
1972/00/00 | 四万十町大正 | 1972年(昭和47) | 打井川小学校鉄筋二階建校舎が完成。大奈路中学校体育館完成。中津川竹内茂氏の家屋、国の重要文化財に指定される。 |
1973/00/00 | 四万十町大正 | 1973年(昭和48) | 北ノ川中学校体育館完成。北ノ川小学校プール完成。轟崎橋が完成。 |
1973/00/00 | 四万十町窪川 | 1973年(昭和48年) | 農協合併おわる |
1973/00/00 | 高瀬橋:たかせばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和48年 | 高瀬橋:たかせばし(沈下橋) |
1973/00/00 | 石藪橋:いしやぶばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和48年 | 石藪橋:いしやぶばし(沈下橋) |
1973/00/00 | 仲間橋:なかいだばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和48年 | 仲間橋:なかいだばし(沈下橋) |
1973/00/00 | 下津賀橋:しもつがばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和48年 | 下津賀橋:しもつがばし(沈下橋) |
1974/00/00 | 四万十町大正 | 1974年(昭和49) | 国鉄予土線開通(川奥~江川崎39.2Km)。重要文化財民家の移転工事が完了。大正町民俗資料館が落成。大奈路小学校プール完成。国鉄バス廃止により、代替バス運行開始。県道2号線、国道381号線昇格に予定され1975年(昭和50年)4月に決定。 |
1974/00/00 | 四万十町窪川 | 1974年(昭和49年) | 予土線開通 |
1975/00/00 | 四万十町大正 | 1975年(昭和50) | 農業協同組合緑茶工場落成 |
1975/00/00 | 四万十町窪川 | 1975年(昭和50年) | 県道宇和島線が国道381号線に昇格 |
1975/00/00 | 新道橋:しんみちばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和50年 | 新道橋:しんみちばし(沈下橋) |
1976/00/00 | 四万十町大正 | 1976年(昭和51) | 打井川小学校プール完成。江師橋落成。打井川集会所落成。 |
1976/00/00 | 中半家橋:なかはげばし(沈下橋) | 架橋年度:昭和51年 | 中半家橋:なかはげばし(沈下橋) |
1977/00/00 | 四万十町大正 | 1977年(昭和52) | 森林組合事務所落成。町施行三十周年記念行事。打井川橋完成。 |
1978/00/00 | 四万十町窪川 | 1978年(昭和53年) | 窪川バイパス開通 |
1979/00/00 | 通称:竹の藪沈下橋:たけのやぶちんかばし | 架橋年度:昭和54年 | 通称:竹の藪沈下橋:たけのやぶちんかばし |
1980/00/00 | 四万十町大正 | 1980年(昭和55) | 田野々幼稚園開園 |
1981/00/00 | 四万十町大正 | 1981年(昭和56) | 大正町役場新築 |
1982/00/00 | 四万十町窪川 | 1982年(昭和57年) | 窪川町社会福祉センター完成 |
1982/00/00 | 四万十町大正 | 1982年(昭和57) | ふるさとの森事業。上宮橋完成。 |
1983/00/00 | 四万十町大正 | 1983年(昭和58) | 弘瀬橋完成。 |
1983/00/00 | 通称:仲久保沈下橋:なかくぼちんかばし | 架橋年度:昭和58年 | 通称:仲久保沈下橋:なかくぼちんかばし |
1984/00/00 | 四万十町大正 | 1984年(昭和59) | 中津川トンネル開通。北ノ川多目的集会所落成。 |
1985/00/00 | 四万十町窪川 | 1985年(昭和60年) | 窪川町合併30周年 |
1986/00/00 | 四万十町大正 | 1986年(昭和61) | 田野々小学校鉄筋二階建校舎落成。 |
1987/00/00 | 四万十町大正 | 1987年(昭和62) | 町制施行四十周年。大奈路中特別教室完成。中津川小へき地集会所完成。 |
1988/00/00 | 四万十町窪川 | 1988年(昭和63年) | 呼坂トンネル(国道381号線)改良工事完成 |
1988/00/00 | 四万十町大正 | 1988年(昭和63) | 西ノ川橋完成 |
1989/00/00 | 四万十町大正 | 1989年(平成1) | 集成材工場完成。轟公園緑地広場完成。予土線をSLが走る。 |
1990/00/00 | 四万十町大正 | 1990年(平成2) | 下津井小学校新校舎落成。石の風車建設。大正営林署新庁舎落成。国道381号線窪川~大正間ニ車線化。人材育成塾四万十川大学開講。下津井中、大奈路中に吸収統合される。 |
1991/00/00 | 四万十町大正 | 1991年(平成3) | 轟公園野外ステージ完成。郷土資料館(上山活龍館)落成。大正町イメージソング「四万十の青き流れ」完成。テニスコート完成。大奈路中学校新校舎落成。 |
1994/07/25 | 建設省(当時) | 1994年(平成6年) | 正式名称を「渡川」から「四万十川」に変更。(四万十川の日) |
1995/00/00 | 四万十町窪川 | 1995年(平成7年) | 四万十緑林公園完成 |
1997/00/00 | 四万十町窪川 | 1997年(平成9年) | JA四万十発足 |
1999/00/00 | 四万十町窪川 | 1999年(平成11年) | 平串に道の駅(あぐり窪川)完成 |
2000/04/01 | 地域づくり「(財)四万十川財団」 | 財団の設立 | 四万十川流域の環境保全を統合的かつ効果的に実施するために設立されました。 |