四万十川の源流域にある梼原町。その、「ゆすはら」という名の語源(注1)といわれる「イスノキ」について、面白い記事がありました。ちなみに、イスノキとはこんな木。
(注1)檮原村(ゆすはらむら)[現]檮原町檮原東・仲間・竹の藪
角川歴史地名体系 高知県 檮原村 の項
檮原川上流域に開けた村。交通の要所で山子や西ノ川村を経て伊予の吉田藩領に出る道があり、宇和島藩領へは宮野々村から九十九曲峠を越える道と上成村から松ヶ峠を抜けて行く道があった。また、当別峠(現東津野村)を越えて須崎に下りる道も通じていた。
永和元年(一三七五)八月三日付の津野浄高所領宛行状(蠧簡集拾遺)に「椅原村」とみえるのが早く、これによると方田治部左衛門尉頼定は「津野新庄山方地頭職椅原村内広野郷内半分事」を宛行われている。江戸時代の郷帳類はイスハラの訓を付し、享和三年(一八〇三)の仮名付帳はイスワラとよませている。また天正一六年(一五八八)の津野檮原村地検帳には「檮原渡瀬」「イスワラワタセ」のホノギがみえるので、古くはイスワラといったと考えられる。「土佐州郡志」には「地旧多椅木、延喜年中以為村名」とあり、津野氏の祖山内経高が伊予より移ったとき、椅の木が多いので、椅原と名付けたと伝える。なお経高は伊予の三島大明神を勧請して守護神とし、化粧坂の東北岡之城に拠って当地を治めたといわれる。三島神社は伊予より檮原に通じる檮原街道沿いに多く分布し、その総社が檮原村にある。
イスノキ いすのき/蚊母樹 [学]Distylium racemosum Sieb. et Zucc.
小学館 「日本大百科全書」
マンサク科の常緑高木で、高さ20メートル、直径1メートルに達し、南九州の常緑広葉樹林の代表的な構成樹種。樹皮は灰褐色。葉は厚くて硬く、楕円(だえん)形、鋸歯(きょし)はなく、よく虫こぶができる。花は3~4月、葉腋(ようえき)から出た円錐(えんすい)花序につき、紅色、花弁はない。一つの花序に雄花と両性花が混在する。果実は蒴果(さくか)、先端に2本の突起があり、黄褐色の星状毛が密生し、浅く2裂して種子を放出する。本州の東海地方以西から九州、沖縄、さらに済州島、中国に分布する。材は日本産有用樹種のなかでももっとも重くかつ硬く、そろばん玉、櫛(くし)、床柱、鴨居(かもい)などさまざまな用途に賞用される。虫こぶを吹くと鳴る音からヒョンノキともいう。イスノキ属はアジア東部に固有な属で、約15種からなる。
平凡社『改訂新版 世界大百科事典』
イスノキ Distylium racemosum Sieb.et Zucc.
暖地の森林に生えるマンサク科の常緑高木で,葉に大きな虫こぶを作り,子供がこれを笛にして遊ぶので,方言でヒョンノキなどという。高さ25mに達する。葉は互生し,長楕円形で基部はくさび形に細まり,全縁,長さ3~8cm,革質で表面に少し光沢がある。春に総状花序を腋生(えきせい)し,普通,上部に両性花,下部に雄花をつける。花弁はなく,萼片は3~6個,5~6本のおしべと2本に分かれる花柱は鮮紅色を呈する。秋に木質の2裂する蒴果(さくか)を結ぶ。本州(伊豆半島以西の東海・近畿南部・山陽)・四国・九州・琉球,台湾南端,済州島,中国浙江省の暖帯中・南部に分布し,南九州では暖帯林の主林木である。材は紅褐ないし紫褐色の散孔材で,国産材中最も重硬なものの一つで,床板,床柱,器具・楽器材などに賞用される。また,温暖地では生垣としても広く植えられる。大きな虫こぶは5~10%のタンニンを含有し,また樹皮にもタンニンを含むので,染色などに用いられる。イスノキ属Distyliumは,東アジアからヒマラヤに約10種を産する。
目につく特徴としては、なんといっても葉や実に虫こぶができること、そして材が堅いこと。今回明らかになったのは、その虫こぶを作るアブラムシの習性です。※記事を埋め込めないので、本文だけ写します。
日本にすむアブラムシの一種の幼虫が身を犠牲にして外敵が開けた巣の穴を特殊な体液でふさぐ行動の仕組みを、産業技術総合研究所(茨城県つくば市)などの研究チームが明らかにした。15日、米科学アカデミー紀要に論文を発表した。
2019年4月16日 朝日新聞デジタルより
モンゼンイスアブラムシは公園などのイスノキに寄生し、「虫こぶ」と呼ばれる洋梨のような形の巣の中で植物の汁を吸って生きる。ガの幼虫などの天敵が虫こぶに穴を開けて侵入してくると、アブラムシの幼虫が応戦しつつ、体の体積の半分以上を占める特殊な固まる体液を出し切って侵入路の穴をふさぐ。研究チームはこの白い体液に着目し、含まれるたんぱく質を調べた。その結果、「フェノール酸化酵素」の働きで樹脂のように固まって穴をふさいでいると突きとめた。この体液が黒く固まり、人間のかさぶたのようになって、約1カ月で治るという。
幼虫は体液を出すと、脱皮できず、ミイラのようになって死ぬ。幼虫にとっては自爆行為に等しい。巣を修復する幼虫の行動について、沓掛磨也子主任研究員は「このアブラムシが、かさぶたを作るメカニズムを、自分の体の傷を治すのではなく、自分たちの巣の傷を治すという社会行動に転用している点がおもしろい」と話している。(松尾一郎)
https://www.asahi.com/articles/ASM4G3CDWM4GULBJ001.html?ref=regmag1904_wmail_0419_131
要するに、アブラムシが自分の体を修復するシステムを巣の修復に転用しているということなんですが、この作業で自分(アブラムシに「個」があるかどうかは措いておいて)は命を落とすことになる。身を挺してスズメバチをとり囲み、熱でスズメバチを殺すものの自らも命を落とすミツバチ同様、こういう話しを読むと、つくづく生きものって不思議だと思いますし、生きるってどういうことなのか考えさせられます。R・ドーキンスの「利己的遺伝子」を補強する事例ともいえそうです。
さて、それはそれとして、ここではイスノキの話しを少し文化史的につっこんでしようと思います。
様々な木が生えている中で、この木を選んで名付けているということは、イスノキに特に注目する必要があったということです。では、そのイスノキとはどんな木で、昔の人にとってどんな意味を持つものだったか。そのあたりを探ってみます。
「イスノキ」は古くは「ユシノキ」「ユスノキ」と言いました。 7C後〜8C の『催馬楽』という歌謡の「大芹」という曲に「 由之乃支(ユシノキ)の盤 むしかめの筒(とう)」、日本最古の国語辞書『和名類聚抄』 (930頃)にも「 柞 四声字苑云 柞〈音作一音昨 由之 漢語抄云波々曾〉木名堪作梳也」 とあります。 和名抄 に「 作梳也」 とあるように、この木で 梳 (くし)を作りました。 平城宮址からはイスノキ製の櫛が発見されていますし、『延喜式』(927)の五、内蔵寮には「年中所造御梳三百六十六枚〈略〉〈皆用由志木〉」 とあります。 内蔵寮 は律令制化で中務省に属し、主に祭祀に係る奉幣などをつかさどった役所ですから、この櫛は実用というよりも神聖な櫛だと思われます。
また、昔の人はこの木の堅さをよく知っていたようで、 日葡辞書(1600年くらい)には「ユス。または、Yusunoqi (ユスノキ)」とあって、「堅い木質の木」 と説明がついていますし、 七十一番職人歌合〔1500頃?〕42番には「いかにせん逢ことかたきゆすの木の我にひかれぬ人の心を(どうしたらいいだろう。逢うことがかたい〈=困難な〉ユスノキ、ではないけれども、私に靡かないあの人の心を)」 と序詞的に使っていますから、この木の堅さが常識だったことがわかります。また、 剣豪小説ファンなら『一の太刀を疑わず』または『二の太刀要らず』 で名高い示現流の木刀の材としてご存じの方もあるかもしれません。
イスノキを漢字で「蚊母樹」「蚊子木」「瓢樹」とも書きますが、これはもちろん、この木から虫が生まれるように見えることからでしょう。「瓢」は瓢箪のように中が空洞になっているからで、子供たちはこの虫こぶのついた葉を吹き鳴らして遊んだそうです。
この木が「イス」「ユス」と呼ばれるようになった理由には諸説あるようです。沖縄の言葉で”よい”木という意味だとか、櫛に使ったので「クシノキ」が転訛しただとか、決着を見ませんが、これだけ特徴のある木なので、そのいずれかに着目した名前だったのだと思います。その一方で、この木が予期しないこと、意外なさまを意味する 「ひょんなこと」の語源だという説を見つけました。 堀井令以知 さんが岩波新書の『ことばの由来』で書いていますが、江戸時代初期の俳人、安原貞室が京ことばを集めた『かたこと』(1650年刊)にも「ひょんなこと」が出ています。「是はひょんといふ木の実の、えもしれぬ物なるよりいへること葉か。」と、ヒョンノキ(=ユスノキ)からと言っていますが、さしたる根拠も自信があるわけでもないらしく、あるいは瓢箪の形がおかしいから”ひょうげた”ことと言い始めたか、あるいは”偏屈なこと”が訛ったかと付け加えています。
さてさて、ユスノキを巡るもろもろについて書きましたが、最後に梼原町と(一社)more trees さんがタッグを組んで行ったプロジェクトをご紹介して終わりたいと思います。
四万十川の源流域、梼原町で、水源地を多様性のある豊かな森にするための植林プロジェクトです。町の名前の由来とも言われている「ユスノキ」を復活させ、「多様性のある森」をつくるためのプロジェクトで、クラウドファンディングでその資金を生み出します( 2019年11月07日23:59に終了しました。 )。
梼原町と more trees のこれから、注目していきたいと思います。