土佐市高岡で行われた「RAC川の安全活動in仁淀川2019 川と人、社会、文化の関わり講座」に参加しました。財団では数年前から安全な川での活動を学ぶため、RACのリーダー講習に参加しています。今回は、川が地域の歴史にどのように関係しているのかを学ぶため、土佐市を流れる鎌田井筋や製紙文化を訪れました。
仁淀川の下流域にあたる土佐市には、四万十川同様、川を活用して暮らしてきたという歴史があり、現在もその名残があちこちに残っています。その一つが鎌田井筋です。井筋鎌田井筋は江戸時代、野中兼山を筆頭に多くの人々の苦労によって約30年かけて整備された農業用水で、これにより土佐市の農業は発展しました。また鎌田井筋は水運にも活用され、人々の運搬を助ける大切な水路でもありました。その証拠に、土佐市内には倉屋敷という地名があります。あの有名な観光地の名前に少し似ていると思いませんか?そう、岡山県の倉敷をイメージするとわかりやすいですが、倉敷もかつて水運の集積地として栄えました。「倉屋敷」という名前から、鎌田井筋が水運に活用されていたことを知ることができます。地名って面白いですね。
今回は地元ガイドの案内のもと、井筋周辺と町並みを散策。今の商店街の通りはかつて市があった通りだそうで、そのすぐ近くに井筋が流れます。当時の井筋は現在の井筋よりも幅が広く、昔の写真には船が停泊している様子も写されています。かつての写真と見比べながら散策するとより現実味があって面白かったです。
ミツマタ 製紙の様子
散策の途中、井筋近くにある製紙会社を見学させていただきました。かつての仁淀川は今の流路とは違い、現在の高岡市街を流れていました。そのため、旧仁淀川沿いには伏流水が湧き出ている場所も多く、そういったことも関係して高岡で製紙文化が育まれたのではないかと言われています。当然鎌田井筋も製紙文化に関係しており、かつては住民が井筋で楮の皮を剥いだりしている光景がよく見られたそうです。
高岡の町にこんなに川との関係が隠れていたとは驚きでした。かつての名残が地名や地形からわかるというのはとても面白かったです。自分の町で昔探しをしてみるのもいいかもしれませんね。