森の美術館。四万十町大正にあるウォーキングトレイル(森林軌道)では、自然の中を歩きながら著名なアーティストの作品に触れることができる。四万十川の森林軌道の歴史、現代アート、そして四万十川流域の自然との時空を超えたコラボレーション!今回は、四万十町アートトレイルの背景から、会場となっている森林軌道の歴史と文化を一緒にみていきたい。
1 四万十町アートトレイルの背景
!SHIMANTO(あっとしまんと)とは
四万十町アートトレイルの主催者の「!SHIMANTO」について紹介しよう。
四万十町職員や四万十町内の民間事業者など約30名のメンバーが所属し、「四万十町中心市街地活性化」を目的とした町おこし事業を展開している団体で、現在は5つの事業を行うが、古本を使った活性化事業「四万十古書街道」が柱になっている。この事業では町内の空き家を借り上げて、寄贈してもらった本で古本屋を展開している。取り組みに興味を持った人が四万十にやってきてくれるのが目標だ。2020年7月10日に1店舗目が開業し、現在は3店舗目がオープンしている。
!SHIMANTOには、他にも聞くだけでワクワクする企画や取組が多い。その根底には「町おこしは楽しくやろう!儲けなくていいから、地域が元気になればいい。」という想いが流れているのだ。
四万十町アートトレイル企画の経緯
今回の「四万十町アートトレイル」は観光庁の「既存観光拠点の再生・高付加価値化推進事業」への応募がきっかけで生まれた。町内の活用できていないトレッキングコースをどうにかできないかと歩いてみて、思い切ってここにアートを置いてみようということになったのだった。四万十町大正振興局にも話を持ち込み、検討を重ね、荒れた道も自分たちでチェーンソーやつるはしを持って整備を進めていった。
肝心なアート作品の収集は!SHIMANTOの強力なご縁によりスムーズに行われた。屋外展示のため、作品は経年劣化が激しくなると思うが、それさえも面白いと思うアーティストに協力してもらうことができたのだった。その中には、TOKYO2020に出演し海外で活躍する方々もいるが、驚くべきことに無償で、四万十町アートトレイルのためだけに作品を制作してくれた。ほとんどの作品が、アーティストの意思によって置く場所も選ばれている。数百万円の作品もあるが、手で触れても良いらしく、アーティストの動きや質感を肌で感じることができる。開館後も、この取り組みを知ったアーティストにより少しずつ作品数は増えている。
四万十町アートトレイルは2022年2月28日までであるが、そのまま作品は置いておく。春になったら、草木や動物も楽しい道中になりそうだ。!SHIMANTO副団長の石坂さんは「お客さんには自由に見てもらって、経年変化や自然との溶け込み方を楽しんでほしい。」と話してくれた。
2 四万十川の文化とアートトレイルを考える
下津井と森林軌道の歴史
今回の舞台であるトレイルロードは、森林軌道跡で、昔はディーゼル機関車が大きな木を運んでいた。林業が盛んだった時代には、人々のにぎやかな暮らしがあった。しかし、今は、対岸を走る国道439号線、通称「よさく」は、日本最凶のキングオブ酷道とも呼ばれるほどの秘境と化している。四万十町アートトレイルをより深く楽しんでもらうために、森林軌道当時から現在までの移り変わりを見ていこう。
下津井と森林軌道のある暮らし
下津井は60人ほどが暮らす小さな集落だ。明治~昭和にかけて国有林を中心に活発な林業が行われ、昭和30年代には400人以上の住民でにぎわっていた。土佐藩の広大な御留山(江戸時代に林産物や動物を取ることを禁止された山)があり、また伊予との国境に接するため、関番所や庄屋も置かれ、明治以降の国有林では苗木の植栽や材木の払い下げが行われ、その他にもシイタケ栽培、製炭など、当時から林業を基盤に暮らしていた。
昭和6年には大正林道の建設が始まり、大奈路~久良川の森林軌道が開設され、昭和14年に下津井~佐川間も開設された。その頃から、戦争が厳しくなり、戦時中の電力不足を補うために津賀ダム(ダムをめぐる問題についてはコラム「四万十川とダムを考える」にて)の建設が始まる。津賀ダムが完成するまでは梼原川を利用した川舟や筏での流通が地域の交易を担い、御留山の林産物を下流域へと運んでいた。下津井には船頭が2人存在し、舟は下津井-江川崎(四万十市西土佐)間を下りに2日、登りに3日を要して航行したという。津賀ダムが完成すると舟や筏での流通はなくなった。ダムの建設により、旧ルートが水没するため、旧大正林道佐川橋(通称:めがね橋)が建設され、その後はめがね橋を通る新ルートが利用された。戦後の建設ラッシュに合わせ林業が最盛期を迎え、佐川事業所には多くの人が住み、佐川山からモミ、ツガなどの原木が伐りだされ運搬された。佐川には、職員と従業員その家族60世帯約200人が暮らし、住居や施設が軒を連ね小さな村ができていた。下津井小学校には100人以上の子どもが通い、森林軌道の線路が通学路にもなっていた。映画観賞会が開催され、何でもそろうスーパーもあったという。各部署対抗の運動会も行われ楽しく暮らしていたことがよくわかる。
しかし、昭和30年代に入ると能率の良い自動車運搬への切り替えが進み始める。昭和33年には下津井吊橋が開通し、トラックでの運搬が始まる。その時代には燃料革命によって木炭や薪の需要が低下し、木材輸入の自由化によって外国の安い木材が大量に入るようになると木材価格の低迷が始まった。急速に変わる時代に、ついに森林軌道も撤廃となる。昭和42年、森林軌道が全廃され、レールが撤去された。そののちも、佐川山の伐りだしとヒノキや杉の植林が続けられ、昭和44年に全面終了し、佐川事業所も解体され少しずつ人がいなくなっていったのだった。そして、現在に至る。
親子2代でディーゼルカーの運転士を行っていた市原貞盛さん(通称まめちゃん)は、事業所唯一の交通機関であるため緊急事態に備えてお酒を慎んできたという。時には、急病人を深夜に送り届け一命をとりとめたこともあった。物資の困窮時代には木炭であえぎあえぎ走り、街から森林軌道に乗って来た人は梼原川の紅葉に目を見張ったという。27年間という短い期間だったが、森林軌道に人がいて、それが生活の一部になっていた時代だった。
*写真提供:四万十町郷土資料館
3 四万十町アートトレイルを体験
体験記
筆者は、普段から山歩きや美術館が好きで、同時に2つも楽しめるなんて非常に魅力的!ワクワクした気持ちを抑えきれず、朝一(7時50分)のバスに乗車した。
スタート地点である下道までは無料のバスが大正駅から出ている。駅駐車場に車を止めて、ルイーゼ号というピンクでポップなバスに乗り込む。このバスも、アートトレイル参加アーティストであるルイーゼさんの絵をラッピングした特別なバスだ。20分ほどでバスを降りると、鳥のさえずりがきこえ、右手に広がるダム湖には朝霧がかかり幻想的な光景だった。
そこから5分ほど歩くと、アートトレイルの入口を発見。おしゃれな「OPEN」の看板に期待も高まる。そのすぐ下から、石畳が見え始めアートトレイルがスタートする。どこにアート作品があるかわからないため、自然を楽しみつつ作品との出会いを待つ。
しばらく歩くと、第1作品に出会った。山の中に人が落ちてきているような絵で、天空の城ラ○タの冒頭シーンを思い出す。またしばらく歩くと、アートトレイルの見所である軌道トンネルが出てきた。暗く不気味だ。この細いトンネルを巨木が運ばれていったとは思えない。そのトンネルにも絵があった。しずくが落ちた瞬間を切り取ったような絵。したたる音が聞こえてくるようで、見入ってしまう。トンネル出口にも波のような絵がある。
ゆっくり1時間歩いた辺りで休憩所の東屋が見え、そこにトイレもある(冬季は渇水のため水が出ず使えないので注意したい。)。この近くにはポップでかわいいルイーゼさんの作品がある。森林軌道のように長く続くリボンをイメージした絵だった。
お楽しみのためこれ以上の作品の説明は控えよう。ところどころ、細い橋を渡りながら進んでいく。機関車が通れる幅なのだろうが、それにしても細い。ふとトンネルが現れる。期待感が高まるが、長いトンネルは光がなく、ぽたぽたと水が滴る音に妙な寒気を感じた。
トレイルの中間地点は、2つ目の東屋。スタートからゆっくり歩いて約2時間だ。標識も、電波もなく、現在地がわからないため、時間を見ながら東屋までのペース配分に気を配る必要があるだろう。道中は、アップダウンがなく道も歩きやすいため、普段歩かない人でも楽しめるが、距離が長いので、根気は必要かもしれない。
東屋を過ぎると、作品数は減るため自然や自分の時間を楽しむ。最後のトンネルを抜けると下津井の集落がお出迎えだ。トンネルを出てまっすぐに進むと終着点のめがね橋にたどり着ける。
約8キロ4時間の行程だがあっという間だった。素敵な美術館を出た後の満足感と、歩ききった達成感が得られ、最高のひとときだった。現代アートの面白さと負けず劣らず美しい自然に心奪われる。ただし、現在地が分からないため少々不安ではあった。それも「森の美術館」に没入して楽しんでしまいたい。
取材時期にはお弁当の提供が休みで食べられなかったが、西村旅館のお弁当はぜひとも堪能いただきたい。エビフライ以外は下津井の食材を使い、その時期にあるものを詰め合わせた美味しい贅沢なお弁当だ。何よりも、3代目西村旅館のご夫婦の人柄も素敵。
アートトレイルから森林軌道を感じる
森林軌道の今は、石畳みとトンネルだけが残され、静かで自然と一体となっている。かつて機関車が走り、巨木を次々と運び出し、その奥には人の暮らしとにぎわいがあった。静かな道から、ディーゼルエンジンの音や木のにおい、人の声も聞こえてきそうだった。林業の繁栄と衰退、流通の変遷を今に語る森林軌道。人工物である軌道トンネルと、トンネルの先に見える木々の緑が一体となって一つの絵のようにも見える。そんな旧軌道と現代アートとのコラボレーションが素晴らしかった。景観を邪魔することなく、自然と軌道がより美しく見えるのだ。ぜひ、森林軌道の昔にも思いをはせながら、自然と人の景観とアートを楽しんでいただきたい。
4 重要文化的景観の新たな活用の形
森林軌道は国の「重要文化的景観」
トレイルロードのある大正奥四万十区域は、四万十川の水源である山林と、戦後復興や高度経済成長を下支えした国有林事業の痕跡を残し、今も四万十桧を産出している。森林軌道跡は、数々の遺構が伝える木材搬出と往来形態の変遷を今に伝える要素の一つだ。
棚田や石積み、今回取り上げた森林軌道跡のように、人が暮らしをつくる中で自然環境に関与してできた景観を「 文化的景観 」という。文化的景観は、人が自然と折り合いをつけて生きのびてきた知恵の積み重なりだから、歴史の生き証人であり、先人たちの文化を伝えるもの ― つまり文化財的価値を有するものだ。その中でも特に、自治体が「文化財として守っていく意思」を国に示し、文化庁に選定されたものを『 重要文化的景観 』という。森林軌道跡を含む大正奥四万十区域は、この『 重要文化的景観 』に選定されている。
通常、文化財は「 保存 = なにひとつ変えないこと 」が基本となるが、重要文化的景観は「 変化を許容する 」文化財である。文化的景観は人の暮らしが作るもので、その営みがあることこそが大切だからだ。したがって、重要文化的景観には、そこでの人の暮らしを応援するために「 活用すること 」がはじめから織り込まれている。要するに、「このトレイルロードは活用する文化財の一部なのだ」ということを言いたかったのだが、その点ここの森林軌道跡はウォーキングトレイルとして整備されたものの、肝心の活用の部分が追い付いていない状況にあった。今回の四万十町アートトレイルの企画は、景観事業担当者だけではなかなか生み出せなかったであろうクオリティーと規模感で新たな魅力を創り出したと思う。森の中に作品を常設させ、同時に自然も堪能できる美術館は全国的に見ても多くはない。参加アーティストも含め、多くの人がこの魅力にひかれて訪れ、森林軌道跡における新たな人の営みの種が播かれた。
当財団は、四万十川流域5市町とともに、重要文化的景観を保全し活用する取り組みを行っている。今回のアートトレイルを新たな好機として、これを上手に育てていきたい。
・!SHIMANTOについて
・四万十町アートトレイルについて
取材協力
・!SHIMANTOの皆さん
・!SHIMANTO 石坂俊之さん
・四万十町郷土資料館
参考文献
四万十川流域文化的景観研究 奈良文化財研究所