四万十川にはアカメという珍しい魚がいる。関わるとその深い沼から戻ってこられないらしい。日本の固有種で、巨体と謎めいた赤い目に多くの人が惹き付けられる。その魅力にはまり込んだ人々とアカメとの話を紹介したい。アカメのいる環境の重要性に気づき、その環境を未来へ繋げようとした人々だ。
1、 アカメという怪魚
まずはアカメについて。アカメはスズキの仲間で容姿もよく似ているが、体高が高い。テラッとしたいぶし銀の肌がかっこいい。暗闇で光る赤い目にドキッとする。普段は河口域に生息し、日中は数~十尾ほどの群れになって水深 10m 前後の淵の底でおとなしくしている。夜行性で、夕方近くになると積極的に捕食するようになる。動くもの全般に反応し、甲殻類、小魚などなんでも丸呑みする大食漢で、口を閉じるときの破裂音は水の外にも聞こえる。
幼魚は、黄白色と黒の縞模様で、成魚になっても摂食行動などで興奮したときに縞模様をみせる個体もいる。夏に繁殖し、7~9 月には稚魚がコアマモ場に多く見られる。正確な寿命はわからないが、水族館では 25 年以上生きることが確認されている。
アカメの目はなぜ赤いのか。この赤さは血液の色である。目の中にタペタムという反射板が入っており、猫と同じように暗闇で光る。アカメは夜行性のため少ない光を反射板で効率的に集めることで獲物を見ているのだ。このタペタムには毛細血管が発達しており、そこに光が反応し、赤く光って見えている。
生殖行動についてはよくわかっていない。愛媛県松野町虹の森公園にある水族館「おさかな館」では、平成 18 年に愛媛大学の三浦猛教授と共同でアカメの人工繁殖に取り組んだ。親魚に生殖腺を刺激するホルモンを投与し、大きく成長した未成熟卵を確認した。卵をさらに成熟させるには塩分濃度や水温の変化が必要だが、おさかな館の限定された環境でその条件を整えることはできず、結局人工繁殖することはかなわなかった。しかしこの研究から、体長 67.5 ㎝以上、8 歳以上でメスになる性転換が確認された。産卵場所はまだ分かっていないが、生息域近くの沿岸、または黒潮の沖合だとも言われる。
2,アカメに魅了された人々
・アカメ水槽を復活させた男 上杉一臣さん
アカメと上杉さん
今回取材したのは上杉一臣さん。浦戸湾の近くに住み、小さいころから桂浜水族館や釣りキチ三平でアカメに触れ、アカメは特別な存在だった。中学 2 年生の頃、近くの熱帯魚屋でアカメに似たシーパーチを見つけ、飼うことにした。ところがすぐに水槽に入りきらないほど大きさになり、桂浜水族館に引き取ってもらうことになった。その時水族館から魚を引き取りにやってきたのが、後に上杉さんの師匠となる飼育研究員の堀内誠さんだった。桂浜水族館では、アカメの群泳をはじめて成功させた経緯があり、堀内さんはアカメ飼育の先駆者であった。
高校入学後、夏休みに桂浜水族館で飼育のアルバイトをしようと考えた上杉さん。売店の募集しか無く諦めかけていたが、たまたま知人のつてで飼育員を紹介してもらい、無給の飼育実習生として受け入れてもらえることになった。上杉さんはそれから 20 年ほど水族館に出入りすることになる。堀内さんとはここで再会し、アカメについて様々なことを教わることになった。6 年間師事したが堀内さんが急逝し、それと時を同じくするかのようにダグチロギルス症という寄生虫疾患でアカメの個体数が著しく減少し、水槽内にほとんどアカメがいなくなってしまった。堀内さんが人生をかけたアカメの展示がなくなってしまうと危惧した上杉さんは、ここからアカメの群泳水槽回復を目指す。
師匠の遺志を継いで
アカメがそばにいるだけで幸せだった上杉さんは、それまで釣りをすることはなかったが、水槽に入れるアカメを手に入れるために釣りをしてみた。だが、相手が相手なのでそう簡単には釣れなかった。おまけに、当時のアカメ釣りは秘密に包まれていて情報がない。そこで頭に浮かんだのが、土佐レッドアイの長野博光さんである。アカメ釣りのパイオニアであるこの人に学ぼうと思った。
長野さんの本業は農家だったが、アカメをもっと理解するためアカメ研究の道へと入っていた。釣りをするうちにアカメの存在そのものへの愛着が大きくなり、アカメと触れ合える高知の当たり前を守っていきたいと思うようになったのだ。他の釣り人に情報を聞き研究を進めるため、長野さん自身は大好きなアカメ釣りも引退した。
師匠の堀内さんは長野さんと交流があったが、上杉さんとはほとんど接点がなかった。電話帳で番号を探しなんとか本人にたどり着き、堀内さんのつくったアカメ展示を復活させたい思いを伝えた。後日長野さんの自宅に案内され、アカメ釣り大会を開いて釣れたアカメを水族館に提供しようと提案された。
当時のアカメ釣りは、情報を隠すことでアカメを守る秘密の釣りであり、釣り師からの猛反発が予想された。上杉さんは長野さんに「調査の為の捕獲」への名目変更を提案したが、長野さんは「みんなでアカメを釣るのだから釣り大会でいい。」と譲らなかったという。当然一部からの反発はあったものの、アカメ釣り界の長野博光の存在があって、10 年間 釣り大会を続けることができた。
上杉さんもアカメ釣りを覚え、足しげく通うようになった。少しずつ釣り人と面識ができ、アカメへの想いと群泳水槽回復の目標を話すうちに、アカメが釣れたら連絡をくれるようになった。夜は耳元に携帯電話を置き、電話が入るとどんなに眠たかろうと現場に急行した。アカメを水族館に運び込んだ後、薬浴等の一連の作業に最低3時間ほどかかった。夏はほぼ毎日そんな生活を送り、約 5 年間続けたものの、どんなにアカメを増やしても病気で死んでいく。そこで、海水での投薬治療から、全てのアカメを完全淡水にした予備水槽での投薬治療に切り換え、その間に展示水槽をカルキ洗浄した。アカメが完全淡水に耐え切れず全滅する危険もあったが、約 2 週間の投薬で完治できた。その後の水槽では死ぬ個体がなくなり、堀内さんがいたころの数にまで回復したのだった。師匠の水槽を復活させるという本懐を遂げた上杉さんは、水族館の業務から引退した。
キャッチ&リリースと標識放流
上杉さんはその後、アカメの搬送から飼育、ケアまで行ってきた経験を活かし、アカメが元気に海に帰れるキャッチ&リリースを広めた。並行して、アカメの動向を知るための標識放流を以前にも増して積極的に行うようになった。隠して守っていた時代から、SNS の普及で情報の制御が不能な時代になってきた。それならば正しい情報を公開し、積極的に発信していくべきだと考えたからだった。
上杉さんたちが推奨するキャッチ&リリースでは、魚体に負担をかけないように水中から無理に上げない。そのため水に極力近い場所を選び釣りをする。今では、鱗一枚剥がさずにリリースすることを心がけていると上杉さんは言う。標識放流のデータはネット上に公開して誰でも見られるようになっており、JGFA ジャパンゲームフィッシュ協会のプログラムに沿って実施されているため、魚族の回遊、魚群の分布生態、および資源動向の研究のための貴重な資料となっている。
上杉さんのアカメ奮闘記は今現在も続いている。
アカメ釣りができない未来を変えた人々
長野博光さんと「アカメと自然を豊かにする会」
2006 年、宮崎県でアカメが希少野生動植物保護条例の指定種になった。同年、高知県でも同条例の施行が決定し、宮崎県と同じようにアカメ釣りが禁止になる可能性が高まった。
長野さんはその話を聞いて憤ったという。蓄積してきたデータから、アカメが高知県では絶滅危惧種に当らないと確信していたからだ。「誤った評価を元に法律でアカメ釣りという文化や人とアカメの豊かなかかわりを禁じるのは間違っている。」長野さんは上杉さんたちと協力し『アカメと自然を豊かにする会』という団体を作り活動を始めた。高知県にデータを提出し、加えて、アカメ釣り大会と同時に開催していたアカメフォーラムを紹介し、アカメが釣れる現状を見せた。保護するほど少ないのであればこんなに釣れるのはおかしい。この動きを受けて、アカメ釣りができなくなるかもしれない未来を回避しようと多くの人が協力した。県外の釣り人や仲間も協力し、多くの貴重な釣果データを提供してくれた。そのデータを以って、高知県の専門家検討会にもアカメは絶滅危惧種に当らないことを約 7 年間にわたり訴え続けたのだった。
高知県も独自調査を行い、資源量が著しく減少しているとは認められないとして、アカメは「県指定希少野生動植物の指定候補種案」から除外され、「注目種」として指定されることになった。注目種とは、「今すぐに絶滅するおそれはなく、高知県版レッドリストには該当しないが、特徴ある分布や生息の状況から 本県の自然を代表すると認められる種」のことである。①キャッチ&リリース、②無用な殺傷はし ない、③販売目的の捕獲をしない、④他の地域に持ち出さない、⑤他の地域から持ち込まない、といった呼びかけが行われ、アカメをみんなで守っていこうとしている。
リンク:高知県アカメの注目種についてhttps://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/030701/2018032000132.html
3 アカメがいる環境のすばらしさ
・アカメと人が関わることで自然を守る
アカメは日本固有種で全国でも珍しく、主な生息地は高知県と宮崎県だと言われている。 特に、高知県は釣果が多く、釣り人憧れの場だ。肉食の大型魚で、コイやフナなど大きな 魚を丸呑みする。それだけの魚が育つ豊かな環境と豊富なエサが高知県にはあるということだ。上杉さんは、「アカメと人が、釣りを通じて触れ合い学べる高知の環境は奇跡的なもので、これを未来にまで繋いでいきたいと考えています。そのためにはアカメだけを守るのではだめで、アカメを育む豊かな自然環境が不可欠であることと、それらに関心をもった人間の理解と関係性があってようやく成り立つものだと感じています。」と話してくれた。
アカメばかりに目を向けるとアカメと人の日常を守れない。自然に目を向けることでアカメ釣りができる高知の環境の尊さがわかる。釣りをすることで、この環境のすばらしさを実感し守りたいと思うようになる。だからこそ、人とアカメの関わりをなくしてはいけない。アカメ と深いかかわりを持つ釣り人達は、アカメとの日常を何よりも大切にしている。
・未来へ託す
いつでもだれでも簡単に情報発信ができる時代になった。かつて釣り人にとって憧れだったアカメ釣りだが、今では動画配信され、気軽に釣れるような感覚となっている。ネット情報だけで釣り場にやってくる人も多く、配信された現場には人が殺到し、近隣住民とのトラブルも多かったという。だが幸い、アカメ釣りは何日やっても釣れない人には釣れない。人気は一過性のもので、結局本当に好きな人だけが残った。アカメ釣り人口が増えることは喜ばしいが、同時に技術や経験の乏しい釣り人ほどキャッチ&リリースの正しい方法が分からずアカメを殺してしまうこともある。上杉さんは、「アカメを釣り、アカメと触れ合うことは大切ですが、ちゃんと生きて返せるように準備と想いをもってほしいと思います。最初は傷つけることもあるでしょうが、それを学びとして、持続可能なアカメ釣りを続けていくために努力してほしいですね。」という。
アカメに魅了され、これまで精力的な活動を続けてきた上杉さんだが、現在はアカメ釣りの第一線から退いている。今でも釣ろうと思ったら釣れるが、これからの若い世代の釣り人に釣ってもらいたい。釣り場も限られているし、発信の仕方も変化してきていると思うからだ。
今現在アカメ釣りはまだできる環境にあるが、今でも自然環境が変化してこの環境が消えてなくなる心配は拭えない。保護対象になり、アカメ釣りができなくなるかもしれない。上杉さんは、「どう守っていくかはその時代の人達が選択していくべきだと思っています。アカメや自然に触れあい自分たちの感性でその先を考えていってほしい。そのために 今までの活動やデータはインターネット上に残し、必要な時に必要な人が接することができるようにしてあります。」と、アカメを未来の人たちに託している。当の上杉さんとアカメの現在の関係はというと、「僕は魚との距離感を大事にしています。近くにアカメがいるだけで、満足。」と朗らかに言うのだった。
リンク:高知のアカメ釣りを未来へ残そう! http://shusaku.fool.jp/akame/
リンク:アカメの国 http://akamenokuni.com/
編集後記
アカメはなんと不思議と魅力にあふれているのだろう。記事を作成しながら深い世界の入口に立ってしまったと感じている。私たちの暮らしのすぐそばにこんなにも魅力的な魚が泳いでいて、触れ合うことができる。そのすばらしさに気づいた人々がその環境を未来へと繋ごうとしている。この環境を守り繋いでいくことでアカメを守る方法もあるはずだ。
今回は特に有名なアカメを取り上げたが、同じような話が多くあるだろう。改めて、何を守るのか。軸を定めて人と自然のかかわり方を考えていきたいと思う。