四万十に今期も鶴がやってきた。令和4年10月20日に降り立ったのは2羽のナベツル。四万十市は、全国でも数少ないナベヅルの飛来地の一つだ。そんな環境を守ろうと長年活動している団体が、「四万十つるの里づくりの会」だ。今回は、会長の佐伯達雄さんにこれまでの取り組みや四万十市と鶴の歴史について伺った。

お話しを伺った「四万十つるの里づくりの会」会長の佐伯さん
今年四万十市に訪れたナベヅル(左から3番目と4番目が本物のナベヅル※他4体はデコイ)提供:四万十つるの里づくりの会

 四万十市と鶴の歴史

 四万十市に飛来する鶴は主にナベヅルとマナヅルで、シベリアなどから越冬のためにやってくる。四万十市では、旧中村市の中筋平野(中筋・東中筋・具同)が飛来地で、主なえさ場は中筋平野の田んぼ、ねぐらは入田・不破周辺の四万十川だ。いつ頃から鶴が来ているのかは不明だが、少なくとも昭和18年には確認されているという。その後しばらく鶴の確認情報はなかったが、昭和47年に2羽が越冬したことが分かっている。そこから鶴の飛来状況観測が始まった。その調査を始めたのが、四万十つるの里づくりの会初代会長の(故)澤田佳長さんだ。澤田さんは、1960年代から四万十川流域の自然観察を行い、長年にわたって流域の生き物を調査した方で、四万十川の自然に関する書物も複数執筆されている。昭和40~50年ごろの中村にはたくさんの鶴が訪れ、越冬する年もあった。それがだんだん減少し、ついには1羽も来ない年まで出てきたうえ、昭和63年から約20年もの間、一度も鶴が越冬することはなかった。なぜ飛来数が減少したのかその原因は定かでないが、佐伯さんはこう推測する。

「鶴の飛来数減少の背景には、2番穂の減少があるのではないかと考えています。鶴は稲刈り後に伸びて実を結んだ2番穂を主なエサとしています。四万十市は早場米の産地で、昔と比べて早くに稲を刈って早いうちに耕耘してしまうようになったので、2番穂が残らなくなってしまったんです。こればかりは、農家さんの都合がありますから、2番穂を残してくれとは言えません。」

 一方でちょうどその頃、全国的に鶴の飛来地を増やそうという取り組みが始まっていた。日本で一番多く鶴が飛来する鹿児島県出水市では、日本に飛来する鶴の約8割から9割、1万羽を超える鶴の大集団が越冬するのだ。ここまで集中してしまうと、例えば伝染病が発生してしまった場合、かなりの数が感染し、死んでしまう可能性もある。そこで、環境省などは鶴の飛来地の分散化を目指し、全国各地に候補地を検。その中の一つに旧中村市が選ばれたのだ。こういった現状を受けて、四万十つるの里づくりの会が平成18年に民間主導で発足し、国交省と連携しながら鶴が越冬する環境作りが始まった。

四万十つるの里づくりの会

 まず会が取り組んだのは、えさ場とねぐらを作ることだった。鶴の越冬にはえさ場とねぐらが欠かせない。しかしそれぞれ条件があり、えさ場は先ほど述べたように2番穂が十分にあること、ねぐらに関しては天敵がキツネなどの陸上動物であるため、水の音で接近に気付けるように中州など周囲を水で囲まれた場所であることが求められる。そこで同会では、使われなくなった田んぼを自分たちで整備することを始めたのだった。

「中山、江ノ村、間(はざま)の3地区で整備を始めました。農家から荒地だった江ノ村の農地を借り上げ田んぼに整備し、米を作り、鶴が越冬する時期にも2番穂が残るようにしたんです。ねぐらの整備には、中山地区の中筋川に国交省が水を溜めて人工的な湿地を作り、一方で私たちは水田に水を張って、人工的なねぐらを作りました。また、鶴を模したデコイを地元小学生と一緒に設置し、鶴が訪れやすい環境づくりと、地域を巻き込んだ活動を進めています。」

 実はこうした整備の背景には、地域の文化にも鶴にも影響が及ばない、新しい場所でのえさ場、ねぐら作りが求められていたことがある。四万十川では、12月1日に落ち鮎漁が解禁する。産卵のために下ってきた鮎を捕る中村の一大イベントだ。その落ち鮎漁のポイントが入田周辺の四万十川で、鶴のねぐら周辺にたくさんの釣り人が集まり、解禁時刻には空砲も響く。これがきっかけで警戒心の強い鶴が飛び去ってしまうことも多い。また、中筋川周辺は、昔から鴨の猟場だ。猟期は11月15日からで、これも鶴の渡来時期と重なっている。
 えさ場とねぐらの整備と並行して進めたのが、鶴の飛来状況や行動の調査だ。当初、調査を行っていたのは澤田さんのみで、1人でできることには限界があった。そこで、飛来・越冬する鶴の数や行動の観察・調査を会で実施し、その甲斐あって、ねぐらやえさ場の特定、環境整備に向けた課題が明らかになっていった。今でもシーズン中はどこに何羽いるか、毎日欠かさず調査を行っている。
 また、会では住民に向けた鶴の里づくりの普及活動にも力を入れている。鶴は繊細な生き物。人間が与える少しの変化や刺激に敏感に反応するため、環境づくりには住民の理解が欠かせない。そこで、地元小・中学校の生徒を対象に年2回の自然体験学習会を行っている他、地元住民に鶴の里づくりの活動を発信し、関心を持ってもらえるよう、「四万十つるの里祭り」を開催している。

「体験学習では、ねぐらにデコイを設置したり、また田んぼを整備したことで水路が復活してきたので、最近は水路にどんな生き物がいるのかを子どもたちと一緒に調査したりしています。一方で多くの地域の人にも知ってもらうためにつるの里祭りを開催していて、今回で14回目になりました。毎回1000人くらいの方に来ていただき、地域のイベントとして定着するようになっています。長年の啓発のおかげで、住民の方々にはこの取り組みを理解いただき、十分にご協力をいただいています。今日は鶴をあそこで見かけたよと当会に連絡してくれる方もいらっしゃいます。しかし、鶴は四万十市のいたるところに降り立ちますから、飛来場所のコントロールが人間にできるわけでもありません。実際、当初から整備してきた江の村地区については住民の理解が高いのですが、実際には鶴はほとんど飛来しなかったんです。最近は森沢地区や間地区に定着することが多くなってきていますが、これまでは住民との接点がありませんでした。そこで説明会等を実施して、少しでも多くの方に取り組みを知っていただけるようにしているところです。先ほどお話ししたように、鶴はいたるところに降りますから、完全に鶴がいる所を避けて生活するのは難しく、犬の散歩をしていたらたまたま鶴がいて逃げてしまうというのは仕方ないことなのです。普通に生活していく中でいかに鶴と共生できるかを考えることが大事だと思っています。気をつけて欲しいのは、特にカメラマンの方など、写真を撮るために近くで待っている方がいますが、鶴はそういうのが嫌いなんです。車が通るくらいでは意外に鶴は逃げませんが、車から降りて近づくとすぐ飛び立ってしまう。だから私たちも堤防の上など離れたところからいつも観察しています。鶴を見る際は、最低でも200m以上離れたところから静かに観察していただきたいです。」

取り組みの成果

 取り組みが始まって間もなく、平成19年には125羽もの鶴が四万十市で確認され、早くも取り組みの成果が出た。翌年にはついに9羽が越冬し、新聞にも取り上げられるなど大きな話題となった。平成25年には整備したねぐらでの越冬を確認。人工的に整備された湿地での越冬は全国初のことだった。さらに平成27年には最大で239羽のナベツルが確認されるなど、その後も飛来する鶴の数や滞在日数も着々と増えてきているという。澤田さんによる鶴の保護活動が始まってから今年度で50年。つるの里づくりに向けた活動は確実に実を結んでいる。

四万十市におけるツルの確認日数の推移
注1:四万十つるの里づくりの会と国土交通省中村河川国道事務所の協働作成資料より。
注2:R4年度はR5.2.20時点のデータ。
注3:四万十市では、12月から1月にわたり確認され、ひと月に1/3(10日間)以上の確認が
あった場合を「越冬」としています。
年度別にみた日最大確認個体数
注1:四万十つるの里づくりの会と国土交通省中村河川国道事務所の協働作成資料より。
注2:R4年度はR5.2.20時点のデータ。

課題と今後の目標

 これまでの活動で成果は出ているが、調査や経験から今課題としてどんなことがあるのか、聞いてみた。

「これまでえさ場を整備してきましたが、鶴が必ずそこで餌を食べるかと言ったらそうではありません。四万十市には私たちが整備している田んぼ以外にもたくさん餌場があるのです。ですから、鶴が越冬するのに必要な餌を供給するキャパシティーはあると思います。問題はねぐらのほうで、12月1日に四万十川を追い出された鶴が移れるねぐらが必要です。対策として江の村に整備したねぐらに子どもたちと一緒に精巧なデコイを設置しました。すると3年前に初めて1羽の鶴が飛来、2年前にも降りて、今期は2羽がそこで越冬しています。現在は江の村に2か所、実崎に1か所冬季湛水田を作って経過を見ている所です。また2つ目の課題として、先ほど出た鴨猟は鉄砲を使いますが、飛来場所に近い中筋川の一部は禁猟区になっていないのです。現在、禁猟区にしてもらえるよう猟友会の方々との交渉を行っていますが、成立に至っていないのが現状です。というのも、中筋川以外がほとんど禁猟区になっているため、ここを禁猟区にするともう猟ができる場所がなくなってしまう。鶴が毎年必ず猟場周辺に降りれば理解も得られるかもしれませんが、そうではないため、難しい面が数多くあります。だから猟区から離れた場所でのねぐら整備もしていきたい、そういう理由もあって実崎でのねぐら整備も行いました。ただ、なかなか条件に合った場所がなく、難しさを感じています。今後も交渉を続けていきながら、新たなねぐらの整備にも力を入れていきたいと考えています。私たちの目標の一つとして、飛来する鶴の数を増やして、観光など地元の産業活性化をしたいと考えています。鶴と共生する地域であること、鶴が飛来する豊かな自然が残る地域であることを売りに、例えばお米のブランド化も図っていければとも思います。鶴を通して地域を活性化させていけるよう、今後もこの活動を続けていきたいです。」

 今回の取材を通して四万十市での鶴の保護活動が50年も続いていることを初めて知った。そんな長い間鶴を見守り、環境整備を続けてこられたことに頭が下がる思いだった。鶴の保護と人間の文化や生活、両者の折り合いをつけるのは難しそうに感じたが、その中でも鶴と地域、両方に寄り添いながら活動を続けている点が印象的だった。今年の冬も四万十に鶴が訪れることを楽しみに待ちたい。

清流通信を購読(無料)する。

名前とメールアドレスを記入して「購読!」を押してください。