奈良文化財研究所(奈文研)の文化的景観研究集会に参加しました。今回のテーマは林業景観について。文化的景観の見方から林業景観をどう捉えるのか、です。
最初に奈文研がこれまで行ってきた林業景観に関する調査について、京都の北山と鳥取県智頭町を事例に発表がありました。京都市からほど近い北山地域は北山杉が有名で、北山丸太として市内の数寄屋造りによく使われたそうです。かつては針葉樹→広葉樹→アカマツという林層が広がっていたようですが、柱材として重宝されるようになると、山が一本杉だらけに。主屋と木材加工を行う付属屋で構成された住宅が見られ、林業を営む暮らしが景観にも表れています。また林業が盛んな鳥取県智頭町では、人工林を活用した畑作が特徴的で、なかでもオウレン栽培が盛んだったそうです。一方で、智頭町でも地域によっては林業にまつわる習慣や景観が薄れているところもあるそうですが、複合的な林業の生産活動は受け継がれているとのことでした。どちらの事例も木材の供給地から近いところに街があり、それによって林業が発展しているようでした。また、特徴的な造林が行われているところが見られる一方で、そのような地域は限られているのではないか、育成林業の歴史は本当に古いといえるのかとの問題提起もありました。
次に鳥取大学の大住先生から、林業景観の成立過程についての講演がありました。特に印象深かったのは、「育成林業は山村の伝統的生業だ」というイメージが誤りだというご指摘です。人工林の景観は、戦後の拡大造林で針葉樹化されたもので、歴史的には浅く、造林から伐採・販売までのサイクルが完了していない所も多いこと、高齢化で産業として維持していくのが難しいことから考えると、育成林業が産業と呼べるのか疑わしい、従って人工林を林業景観と呼べるのかとの問題提起がありました。また、林業はサイクルが長期間になるため、伐採してしまえば景観は消滅・変化し長期間回復できない、システムとして補助金だのみでマニュアル通りの管理しかできず、地域性に発展しづらいのではないかという指摘もあり、新しい気づきになりました。
また2人目の講演者である京都精華大学の小椋先生からは、里山景観の変遷をテーマに、半自然草原(人間の活動により維持されてきた草原)の減少について、各地の航空写真を用いながらのご説明がありました。草原は明治期まで全国各地にあったが、昭和に入って植林化が進み減少していった。理由は肥料や家畜の飼料としての利用がなくなったこと、高齢化で野焼きが行えなくなったこと等が挙げられていました。また地中の微粒炭量を調査したところ、1万3千年以上前から野焼きが行われていた可能性があることが分かったそうです。日本人は古くから草原を利用していたんですね。
パネルディスカッションには、九州大学の菊池先生と神戸芸術工科大学の小浦先生が加わりました。最初に菊池先生が一昨年度に行った梼原町での集落調査の結果が共有され、そのなかで、梼原町では1軒1軒の農家が畑や水田、焼き畑、茅場、山林でさまざまな栽培を行いながら複合的な農林業を営み、その1軒1軒のまとまりが集落の置かれた条件に合わせて配置され、それぞれの集落景観を作り出していることがわかりました。また、焼き畑の風習は見られなくなったけれども、1年を通して多種多様な作物を栽培する循環型農業が続いている点に焼き畑の名残が残っているとの指摘がありました。
ディスカッションのなかでも、先ほどの講演をふまえて、林業は都市型の産業という性格が強かったり、伝統的な産業だと認識が誤りであったり、捉え方を見直す必要があることを確認した一方で、吉野や北山など伝統的な林業景観には特徴があるのではないか、地形や水系などの「場所の力」と林業の関係を明らかにし、変わらないものが何かを整理していくことで価値が見えてくるのではないか、との意見もありました。林業は長いスパンで考える必要があるうえ、林業を継続していくことも困難な状況ではありますが、活用という点では、使う側(特に若い年代)が木材の産地を気にするといった現象も起きてきているので、そこで文化的景観が一つの価値になりうるのではないかという意見もあり、活用に向けたヒントを得られた気がします。今回の研修会で林業に対するイメージが大きく変わりましたし、文化的景観としての林業の捉え方の難しさを感じました。またそれ以前に、林業に関しては歴史やシステムなどまだまだ知らないところが多いので、勉強していきたいと思います。