いつも清流通信をご覧いただきありがとうございます。今月は先月の清流通信でご紹介した四万十川流域の文化的景観について、景観の見方や特徴をもう少し深堀りしてみたいと思います。今回の記事を通して、四万十川流域の風景や地域の魅力を少しでも皆さんにお届けできれば幸いです。

~清流通信332章のおさらい~
 文化的景観とは「暮らしの景観」です。人々がその土地の自然条件や風土に合わせてどのように暮らしてきたのか、その暮らしの変遷や在り様が表れている景観を文化的景観といいます。例えば、愛媛県西予市の狩浜では、海と山が迫る地形に集落を築き、半農半漁の暮らしを続けてきました。集落に迫る山の斜面を活用して段々畑を作り、時代にあわせて作物を変えながら豊かな暮らしを持続してきました。現在はみかん栽培が主ですが、養蚕が盛んだった時代には桑を栽培し、集落には養蚕業を営んだ特徴の残る家屋を見ることができます。また段々畑の石積みは地域でとれる石灰岩で作られており、白い石積みが空高く続く光景は圧巻です。そして海ではかつてはイワシ漁が、今では真珠の養殖やシラス漁が生業になっており、養殖筏がいくつも浮かぶ漁村らしい景色も見ることができます。     

 このように、景観にはその土地の条件にあわせて人々がどう生きるかを選択した結果が表れています。なんでもない景色の中に、土地の暮らしを理解するヒントがたくさん隠れているのです。
 重要文化的景観選定地は現在全国に72か所あり、それぞれ個性のある景観を見せています。ご近所にもあるかもしれません。ぜひ、訪れてみてください。

四万十川流域の景観はどのようにして作られたのか

 さて、ここからは四万十川流域の文化的景観について、その特徴や成り立ちを紹介していきたいと思います。四万十川流域の文化的景観を読み解くキーワードは、大きく3つあると考えています。1つ目が「山や川が作り出した地形」、2つ目は「山や川とともにある暮らし」、3つ目が「流域をつなぐネットワーク」です。

1 山や川が作り出した地形
 四万十川流域の集落は、河岸段丘や環流丘陵などの川の流れによって作り出された土地や、地すべりでできた土地に形成されています。特に蛇行の多い四万十川では、蛇行部の突先にできた土地や、蛇行による侵食が進み、流路が変わったことでできた土地(旧河川)を利用した集落もみられます。その多くは川からの高低差があまりないところにあり、集落と川の距離が近いこと、山と川が近く平地の面積が少ないという特徴があります。この近さが、2つ目の特徴である山と川とともにある暮らしに繋がっていきます。

2 山と川とともにある暮らし
 集落が山や川に挟まれていることから、人々は背山から川までを多様に利用しながら暮らしを営みました。川でアユやテナガエビといった川の幸を得、山では林業や果樹・林産物の栽培を行ってきました。そのため、流域の集落には川に下りる道が整備されており、家屋の後ろの山には果樹が植えられていたりします。川は祭礼の場でもあり、七夕飾りを川に渡したり、神輿を船に乗せて川を渡したり、人々の信仰の場としての機能も持ちました。
 平場が少なく、水田の面積もひろくないので、多くは山からの沢水で田を潤しています。四万十川本流から水を引くのは耕地の広い窪川から上流に限られますが、平均河床勾配が0.6%という数字が示すように高低差が小さい土地なので、はるか上流に堰を作り長い長い用水で水を引いてこなければなりません。大野見には水は見えるけど遠いものだという言葉(『枕草子』の「近うて遠きもの」みたいですね)が残っています。集落に広がる水路網も、山や川との関わりの中にあります。
 
 恵みを与えてくれる一方で、山や川は災害の脅威ももたらしてきました。台風銀座にある四万十川は「暴れ川」としても有名で、人々は幾度となく洪水に見舞われました。抗えない力に対して、人々は自然をコントロールしようとするのではなく、土地の使い方や構造物を工夫することで、上手に付き合ってきました。そういった自然と折り合いをつけた土地利用のルールが、四万十川らしい景観を形作る基盤になっています。

 上の風景の中にも、自然と折り合いを付けながら暮らすルールが見いだせます。土地利用の順番に着目してみましょう。下から順にみていくと、川→農地→家屋→里山となっていることがわかります。川に近く、浸水する恐れのある場所は農地として使い、道路を挟んで川から遠い山裾に石垣で高さを作って家屋を構えています。また家屋の後ろにある山では果樹等を栽培し、先祖を祀るお墓もこの場所に置かれます。このような配置は流域全体で共通しており、洪水を避けるため、流されてはいけない大事なものほど川から遠い高いところに設置し、安全で豊かな暮らしを持続させてきたのです。
 また、構造物においても自然に抗わない形を選択してきました。その代表例が沈下橋です。洪水時には水中に沈む沈下橋は、欄干がないことで損壊を免れることができます。洪水が多い四万十川の暮らしの知恵です。屋根の瓦の形も、雨風が当たる向きにあわせて左瓦(右側に桟がある瓦)と右瓦(左側に桟がある瓦)を使い分けているほか、水切り瓦が付いている家屋もあります。これもまた台風が多い地域ならではの特徴です。  

3 流域をつなぐネットワーク
 集落の景観には、流域間のネットワークも大きく影響します。道路網が整備される以前、流域の運搬を支えたのは舟運だったので、川と川が合流する場所は集積地として栄え、町の機能を有するようになりました。例えば、四万十町の大正田野々集落は、四万十川と梼原川の合流点にあり、物資が集まる拠点として栄えたことで町場が形成されました。また河口の四万十市下田集落は、関西との交易のための物資を集積する港町として栄え、家屋が密集した“港町らしい”風景が形成されています。また街道と街道が交わる場所(ノード)も、物や人が集まり、町場の機能を有するようになりました。代表的な地域が梼原で、愛媛県と高知県を結ぶ津野山街道の拠点として栄えました。

 このように流域全体、そして愛媛県とつながる広域的な流通・往来のネットワークによって、個性を持った集落が生まれていったのです。
 これらの3つの要素が四万十川流域の景観を形作るベースにあり、これらが流域全体を通して個々の集落の自然環境や地形条件と組み合わさることで、個性ある集落景観が生まれています。流域にお住まいの方は、みなさんが住んでいる地域の景観にも、紹介した3つの要素が隠れているはず。そんな視点で流域を見るのも面白いですし、新たな地域の魅力に気づくきっかけになるかもしれません。

各市町の文化的景観

 ここで、四万十川流域の文化的景観を構成する津野町、梼原町、中土佐町、四万十町、四万十市の文化的景観の概要を紹介いたします。

源流域の風景 津野町
 源流域にあたる津野町には、四万十川本流と支流の北川川が流れています。津野町では、橋げたに木を架けただけのシンプルな木橋や、ケーブルを渡したゴンドラなど、川幅が狭い源流域ならではの渡河の方法を見ることができます。また斜面地を活用した茶畑や棚田、1階を納屋や馬小屋にして2階に母屋を構える斜面地をうまく活用した家の造りを見ることもできます。

上流域の斜面地を活かした風景 梼原町
 四万十川最大の支流梼原川が流れる梼原町には主に2つの特徴があります。1つは地すべり地形にできた集落が他の地域に比べて多くあることです。梼原町は秩父帯と四万十帯のエリアの中にあり、特に秩父帯は崩れやすいため、地すべり地形ができやすい特徴があります。そんな傾斜地形を活用して、焼き畑を行ったり棚田を作ったりしてきました。2つ目の特徴は愛媛県との交易です。地理的に愛媛県と隣接する梼原は当然愛媛との交易も盛んであり、街道を通じて梼原の町も発展しました。各集落の往還道沿いには通行人をもてなす茶堂という建物も多く残っています。

上流域の台地を活かした風景 中土佐町
 中土佐町に入ると川幅を少し広げ四万十川特有の蛇行が見られるようになります。実は中土佐町大野見は米どころ。川が作り出した土地を最大限に活用して水田を作っています。またここは昼夜の寒暖差が激しく霧が発生しやすいため、美味しいお米が育つのに適した環境なのです。田の面積が広いので沢水だけで賄うことはできなかったので、人々は堰を作り、遥か上流から水を引くことで田んぼを潤してきました。集落内に張り巡らされた水路網も大野見の景観の特徴の一つです。

中流域の風景 四万十町
 市町村合併で広大なエリアとなった四万十町では、川の形もさまざまに変化します。まず四万十町の上流に当たる窪川エリアでは、「高南台地」という川が作り出した広い台地に一面の水田が見られます。流域でこれほどまとまった平地があるのはこのエリアくらいです。また四万十川が蛇行を繰り返す四万十町では、蛇行の突先にできた土地や、川による浸食でできた「環流丘陵」と呼ばれる土地に集落を作るパターンも多くみられます。

下流域の風景 四万十市
 四万十市では、四万十川がいくつもの支流と合流し川幅を拡げ、蛇行も大きくなります。それまであまりなかった広い河原や、長い沈下橋が見られるのが特徴的です。また海から遡上するアユやテナガエビなどの生き物も多く、川漁の種類が多いのもこの地域です。中村の市街地付近を流れる四万十川にはアユの産卵床があり、生態系の維持にとって欠かせない場所にもなっています。また河口域の下田は流域と関西との交易を支える港町として発展してきました。

このように、5市町の景観それぞれの特徴があり、川幅や流れ方の違いによって集落の個性が違うので、ぜひ5市町の保存活用計画書を読み比べて、その違いを確かめてみてください。

文化的景観を守っていくために

 「山・川とともに生きる人々の持続的な暮らし」を ” 流域全体で ” 伝えているという点が四万十川流域の文化的景観の重要なポイントになっています。この景観を後世に受け継いでいくためには、2つのことを特に意識しておく必要があると考えています。
1つ目は、「山や川と関わる暮らしの文化を継承していくこと」です。そのなかで、先ほども触れた土地利用のルールを守ることが非常に大切だと考えます。例えば浸水する可能性が高い場所に建造物を作らないことであったり、保水力を弱めるような山の開発行為は避けるなど、長い間流域で受け継がれてきた土地利用のルールに留意する必要があります。また、川漁や川遊び、斜面地を活用した作物の栽培などの文化を次世代につないでいくことも重要です。四万十らしい暮らしが受け継がれない限り、文化的景観は守れません。川で魚を獲ったり、石積みで農地や家を支えたり、裏山で果樹や椎茸を栽培したり、、、。こういった暮らしは自然環境を守るうえでもメリットがあります。例えば川で魚を獲るということは、魚が獲れるような川の環境を維持していくことに意識が向きます。そのため自然と川の状況を観察するようになり、小魚が減った、砂利が減ったなどの変化に気づくことができる、「川を診る人」が増えるのです。また石積みは適度に隙間が空いているので、その中に生き物が棲みついたり、水が抜けるので土砂災害にも強いとされています。「自然を利用することで守る」という四万十川の暮らし方は、環境を守ることにもつながるのです。

 2つ目は自然環境を守ることです。四万十川流域の暮らしは豊かな自然なくして成り立ちません。そのためにも過度に手を加えないこと、山を切り崩したり、川の形を変えたり、生き物の生息環境を脅かすような行為は避けることが大切だと思います。また安易な地形改変が、山や川の水を利用する人々の生活にも影響を及ぼす可能性があることを常に念頭に置く必要があると考えます。これは決して開発や地形改変を否定しているわけではありません。自然環境と折り合いをつけてきた暮らし方に倣って、自然と人間がいい関係で暮らしていけるよう、上手に付き合っていけるようにしたいということです。身近な自然から恵みを得て暮らしていることを忘れずに、その自然を守っていくことで、自分たちが安全に、豊かに暮らしていけるのだという意識を持ち続けることも大切だと思います。

 かつては山・川と人々の営みがより密接で、自然と折り合いを付けながら利用するそのバランスが無意識のうちに受け継がれてきたのではないかと思いますが、現代においては生活様式も変わり、山・川との関わりが希薄になっている状況があります。そんななかで、四万十川流域で受け継がれてきた暮らし方について文化的景観を通じて知ってもらうことで、地域の良さを再認識し、山・川とともに生きる四万十らしい暮らしや景観を次世代につなげていってほしいと思います。そのためにも文景協側でも地域内外の方に向けた情報発信を強化し、住民を巻き込んだワークショップ等を実施して、地域の魅力を伝え、地域の活力を向上させるような取り組みに発展していけるようにしたいと考えています。

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