川下 徳之(かわした のりゆき)※通称「川ちゃん」

川ちゃんの基本情報

・昭和35年生まれ

・静岡県西部 旧・水窪町出身

・四万十ドラマ「RIVER」の会員の中で第1号の四万十移住者

ライダーズイン四万十 管理人

・3ケタ掛けるシャクリ漁の達人

川でとことん遊んだ少年時代

静岡県西部にある旧水窪町(現・浜松市)で少年時代を過ごしました。小学4年生からアユのシャクリ(静岡では「ひっかけ」)漁をやっていました。大人や先輩達にしゃくり方や仕掛けの作り方を教えてもらい、ちょっとずつマスターしました。アユのほかにはアマゴやドンコに似ているカジカを捕りました。

川ではとことん遊びました。夏休みの40日のルーティンはこんな感じです。ご飯だけ持って、海パン一丁で川へ行き、川に置いてある銛や水中メガネで獲物をゲットし、常備している塩とライターで調理してその場で食べ、帰り際には常備してあるシャンプーで体を洗い、家に帰ったら、海パンのまま寝て、次の日はそのまま川に行く、この繰り返しです。

もちろん40日の間には台風で増水している日もありますが、それでも川に出かけます。増水した川の淵では渦が巻いていて、そこに飛び込み、引き込まれて少し下流に浮いて出てくるのがすごく楽しかったです。そんな日は、おばあちゃんが心配して見に来て、引きずられながら帰った事もありました。(※一歩間違えれば命を落とす事もあるので、良い子のみんなはマネしないでね!)

水窪川と水窪市街地:Wikipedia:CC 表示-継承 4.0

人生の転機、四万十への移住

高校を卒業してからは、名古屋市のNTTに就職し、休みの日は、長良川の支流の馬瀬川と板取川でシャクリ漁で1日3ケタのアユを獲りました。そのほかにも海釣り(黒鯛専門)、水上スキー、ボーリング、ゴルフ、麻雀、パチンコ、競馬、等々あらゆる遊びを楽しみました。

こいのぼりの川渡しで有名な旧・十和村へ移住

転機は36歳の時に訪れました。四万十ドラマが発行している会員誌「RIVER」で紹介されていた体験型プログラム「自然の学校」に参加する事にしました。その2日前に出発していたのですが、予定日の前日に台風が来て、連絡が取れなかった私は、十和地区にある柳瀬温泉に着いてから開催中止になった事を知りました。取り敢えず、ふるさと交流センターでキャンプすることにしました。ビールを飲みながらロッキングチェアに座り、洪水で大河に変貌した四万十川を眺めながら「いいな…」と感じていました。

2日くらい経って、四万十川の支流でシャビキをしている役場の職員に遭遇し、その様子を見て、変に自信が出てきました(要するに下手だった!)。そして、風景も良いし、ここ(十和)に住みたい!!!と思いました。移住する気満々で、一旦名古屋に戻り、また2週間後に7日間の休みをとって、十和での家探しが始まりました。戸が外されていましたが、雨漏りはしていない古い家が見つかりました。

家が見つかったので会社にすぐに辞表を出し、1月15日の成人式の日に十和に移住してきました。雪がしんしんと降り、とても寒い日でした。会社の先輩2名が家の修繕の手伝いに一緒に来てくれました。戸がない家だったので、家の中にテントを張り、煮炊きをするための竈(くど)があったので、そこで火を焚き、夜は3人で湯たんぽを抱いて寝ました。楽しすぎて、不思議と寒さは感じませんでした。

その古い家で15年過ごし、その後、その土地を購入し、「一生ここにおる!」と決めて、整地した後に終の棲家を建てました。

四万十川でのシャクリ漁と環境活動

『環境3種の神器』を前にして

当時は、シャクリも友釣りも解禁日が5月15日で、その日には必ず行くと決めていました。これまで解禁日は皆勤です(笑)。当時は、短パンとTシャツでしたが、楽しさで寒さを忘れ、アユも多く、3ケタ前後のアユが獲れました。近年は、アユが減って、50匹も獲れない事が多いです。

廃油回収に使用される「しーまうんと号」

四万十川に負荷をかけないように、廃油で作った石鹸で洗濯も食器も自分の体も洗いました。廃油石鹸は川に流れても分解されます。他の家庭にも廃油を回収に行かせてもらい、石鹸やBDF(バイオディーゼル燃料)にしています。家庭菜園では農薬や化学肥料も使いません。その他にも環境3種の神器(マイ箸・マイバッグ・マイボトル)をいつも持参しています。

取材を終えて…

地元では「川ちゃん」の愛称で親しまれている川下さんは、2020年から四万十町十和地区にあるライダーズイン四万十の管理人をされています。Facebookでは、いつも泊まりに来た鮎釣り師さんやライダーの皆さんと楽しそうに「飲みニケーション」されている様子が投稿されています。そして、「出会いが財産」という川ちゃんは、人生で今が一番楽しいそうです。

囲炉裏が囲めるライダースイン、「飲みニケーション」の場になっている

40歳までは環境に対して特に行動する事もなく、ごく普通の生き方だったようですが、それもまた人との出会いや対話によって考え方が変わっていったようです。そのように変わる事ができた根底には、少年時代から築き上げてきた川との深い関係性があったからこそなのかもしれません。