橋本 章央(はしもと ふみお)

橋本 章央さんの基本情報

・50年代生まれ

・旧十和村広瀬地区

・大人塾川漁講師、四万十町議会議員

合同会社OUCHI企画代表  HP(☜をクリック)をcheck!!

四万十川あるある・・・子ども達の通過儀礼~深さ、青さ、音を思い知る

広井大橋からの眺め:ここで「通過儀礼」が行われた

昔は、子供がたくさんいて(広井小だけで120人)放し飼い状態でした。中学生の先輩とか親分みたいな人がいて、「泳ぎに行くぞ」と言われて、ついて行きました。年上の人が下の子を面倒見ていました。

年代ごとの通過儀礼があって、その歳では、みんなそんなに泳げないのに、「溺れたら助けるからここまで泳いでこい」と言われて、アプアプしながら泳がされ、死ぬかと思いました。助けるとは言うものの何の保障もないです(笑)

小学3年生になれば「ゴヨウ」という岩があって、そこまで泳いでいかなければなりませんでした。6年生になれば、広瀬から対岸の井崎に渡る渡し場がって、そこを泳いで横渡りしなければなりませんでした。渡し場は深いところで5~6mあり、底が見えず、泳ぐ距離も40mくらいありました。泳ぎに自信があっても、その深さと青さが怖かった・・・。

またある日、大水で沈下橋が沈んでいるくらいの時に、パンツ一丁で上流まで行って、藪を降りて泳ぎながら流されていました。その時に川の底で砂利がザラザラ流れる音が聞こえていました。こんな遊びをして叱られていました(笑)

ウナギで稼ぐ初体験

思い出深いのは、コロバシでウナギを獲って、初めて小遣いを稼いだ事です。小学2、3年生くらいの時でした。手が小さいので、2~3本しか持てませんでした。自力でお金を稼いだのが思い出に残っています。同級生の名人は、稼いだお金で毎日アイスクリームを食べていました。自分で稼いだお金なので、誰にも文句を言われません(笑)

コロバシは親父に作ってもらいました。「明日は大水が出るから浸けるなよ」と言われていたのにもかかわらず浸けて、案の定、流されてしまい、叱られていました(笑)

川漁のお金の話:絹とウナギ

親父には「ウナギが食いたくなったから獲ってこいや!」と言われて、コロバシで獲ったり、延縄で獲ったり、水中電気で照らして潜って、石の下に入っているウナギを突いたりしていました。そうやって広瀬地区にはウナギを獲る人がたくさんました。当時流域で盛んだった養蚕の繭1貫(3.75kg)の値段とウナギ1貫の値段が同じで、広瀬地区には養蚕をするよりウナギを獲った方が良いと言う人が多かったです。

20代前半の頃、ソフトボールのチームや青年団でアユを売ることになった時には、みんなで獲りに行きました。仕入れ値はタダで、四万十川祭りの時には1匹500~600円で飛ぶように売れて、それを活動費に入れたり、旅行代にしていました。あと、イベントで売る以外には、地元の建設会社が景気が良かったので、買い取ってもらってもいました。「買ってくれ」とほぼ押し売りでした(笑)。建設会社は買い取った後、それを周りに配っていました。

延縄でスズキが獲れた時には、高瀬(仕出し屋)に持って行って売りました。川は、一番手っ取り早い小遣い稼ぎになっていました。つい最近も延縄でスズキが獲れました。昔から「スズキは十川の小貝(こかい)の瀬まで上ってくる。」と言われていました。

大好きなアユ漁

橋本さん宅対岸からの眺め

投げ網が一番楽しみで、毎日、アユが跳ねてないか川を見ています。竹藪で家の前からは見えなくなったので、軽トラに乗って対岸まで行って、日に3回も4回も見に行きます。もし見つけたら、すぐ投げに行きます。窪川まで行く時もほとんど川を見ながら走っています。

7月にデカいのが獲れて焼いて食べたら、女房に「夏のアユはいらんね、うまくない」と言われました(笑)。それで8月になっても今年は火振り漁を1回もやりませんでした。こんな事は初めてです。9月の終わりも川の色が良くて、アユはたくさんいましたが、行きませんでした。もし行っていたら、20kgは獲っていたと思います。

今はアユが少なくなって、できなくなってしまいましたが、昔は闇夜に膝ぐらいまでの瀬に行って、川を押さえる漁が一番好きでした。腰に竹籠を付けて、這いつくばって、川を素手で押さえているとアユを捕まえることが出来ました。それほどたくさんアユがいました。時にはアユを踏んづけて、それが千切れて流れる程、いましたね。

思い出に残っているのが、広井小学校の女先生がアユを押さえに行きたいと言うから連れて行った時に、ヌルッとしたアユを触って「ギャー」と叫んだ事とか、運動会で打ち上げで飲んで、みんながフリチンで川に降りてアユを獲ったりした事とかですね。

縄文時代から行われていた!?ガネ釣り

8月の後半、クズカズラの花が咲いたらガネ(ツガニ)が下り出すので、ガネを「釣り」に行きました。竹竿にカズラの釣り糸と石の錘をつけて、その先にシュロの皮で包んだ川魚(アユ、ハヤ、ゴタガエル)を付けるだけです。水が出た後の笹濁りになった頃に、置き竿にして5~10分ほど待って、たも網を下に入れてソーっと持ち上げてくると、餌に取り付いたガネ(ツガニ)が釣れるんです。

これは私の推測ですが、この釣りは縄文時代から行われていたんじゃないかと思います。まず縄文時代でも全ての道具が揃えられて、広瀬の縄文遺跡からは、土錘のようなものが出土しています。これを錘にしていたんじゃないかと思います。ちなみにこのガネつりは広瀬以外では聞いた事がありませんし、70歳以下の人は知らないと思います。

この釣りは、泳いだり、水切りをしたり、他の遊びをしながら出来ました。ツガニは売る所がなかったので、母にソーメンの出汁にしてもらい食べていました。この釣りは、ぜひ映像に残したいと思っています。(※その際は財団も呼んでください!)

道路から四万十川が見えるように!

大学生ら若者とお昼ご飯を食べる東屋

四万十川沿いにはたくさんの桜が植えられていますが、そこに竹が生えて川が見えなくなっています。大学生を乗せて車で走る時に「橋本さん、川が見えんね」と言われて「今は川が汚いから緑のカーテンを引いちょうがよ」と冗談を言っています(笑)これでは駄目だと思います。車窓から桜を通して四万十川が見えるようにしたいです。バイクを乗っている人がメルメットの上にGoproカメラを付けて走っています。それが良い四万十川の宣伝になるのだから川を見えるようにしないと。

取材を終えて…

取材中に飼い慣らしたヤマガラにエサを与える橋本さん

リバマスさんを取材していつも感じることは、少年時代に四万十川で「通過儀礼」が行われていた事です。アマゾンの奥地などの通過儀礼には、命懸けの体験や生死を彷徨うような体験がつきものですが、今回の橋本さんのお話を伺っても、それは遊びを通してですが、年齢に応じた試練が用意されており、今となってはとても貴重な体験だと思いました。リバマスさんの輝きや逞しさは、そんなところに秘密があるのかもと感じました。

また橋本さんは若い世代や大学生に四万十川の楽しさを知ってほしいという思いで、川遊び体験や、ご自身で開発された移動式のヒノキサウナを河原に持っていきサウナ体験をさせたり、得意の網投げ漁の体験をさせたり、ブルーベリー狩りをさせたりとご活躍されています。橋本さんのFacebookからもその活動の様子を知ることが出来るので是非ご覧ください。清流通信でも一度取材させていただいています。