山脇 陳男(やまわき のぶお)
山脇 陳男さんの基本情報
・昭和23年3月生まれ
・旧窪川町七里生まれ
・四万十川上流淡水漁協組合長、土地家屋調査士
・宿泊処 松葉川屋
少年時代…川も山も「実益の場」
少年時代の四万十川との関わり方を聞いたところ、「川も山も実益の場」だったと言います。小学5年生くらいまでは、ハヤやドンコを捕って、「100%全部食べた」そうです。6年生くらいから自分で竹や木でコロバシを作り、ミミズをエサにしてウナギを捕り、中学2年生くらいからは、アユをカナツキで捕って全て食材として美味しくいただいたそうです。夏休みにもなれば、朝から晩まで唇が青くなるまで川に居て、まさに「生活の場」だったそうです。
四万十川との濃密な日々を過ごした山脇さんは現在、四万十川上流淡水漁協組合長でもあります。山脇さんの今一番の悩みは四万十川の魚が減った事。感覚的には10分の1になったそうです。特にモツゴ(タカハヤ)をほとんど見なくなり、いろいろな要因が考えられるが、カワウやアオサギの影響が大きいと言います。アユは放流していることもあり、去年のようにたくさんいる年もあるが、ウナギやナマズはエサとなるハヤ(カワムツ)やドンコに比例して少なくなってしまったそうです。
少しでもこういった状況が改善されるように中国の格言「隗より始めよ」で、まずは自分から、身近なところから、田植え前に田んぼに水をはって耕耘する「代かき」を浅水にして、にごり水を「一滴も流さない」ように心掛けているそうです。それでも時にはモグラが畦に穴をあけて漏れ出る事があると悔しそうに話されていました。
この「浅水代掻き」を上流淡水の組合員にも呼び掛けているそうです。通常、代掻きの後、田面を安定させるため2~3日後に田植えを行うのですが、浅水代搔きの場合は翌日、田植えができ、しかも草も生えにくいそうです。その他に一般的に言われているメリットを載せておきます。
浅水代掻きのメリット
・稲わらや草を土中に埋め込みやすい。
・田面が確認しやすく均平が取りやすい。
・水資源が有効活用に活用できる。
・肥料成分や汚濁水の流出が防げる。
こうした取り組みを根気強く行っていますが、四万十川に対しては「百年河清(かせい)を俟(ま)つ」心境だそうです。「河清」というのは、黄土で濁っている中国の黄河のことです。昔のような四万十川を取り戻すのは、黄河が清流となるのを待つような心境だと言います。
田んぼは、現在1.4haほど作っていて、山脇さん自身の田んぼは3分の1程度で、残りは親戚や地域の人がだんだん出来なくなって、頼まれたいわゆる「縁故米」です。山脇さんの本業は現役バリバリの土地家屋調査士で、四万十市に事務所を構えています。その傍らで1.4haという広さの田んぼを維持管理していくことはなかなか大変で、「畦草刈りに追われて、気力体力が追いつかない」そうです。ここでも四万十川流域の田んぼを荒らさないように懸命な山脇さんの姿が垣間見えてきます。
山脇さんのご自宅の向かいにある山の話も伺いました。山も小さい時から「生活の場であり、実益の場」だったそうです。小学生の時には世界一薄い紙の原料になるガンピを捕りに山に入ったそうです。1日あたり200円、現在に換算すると8000~10000円もの実益になったとのことで、ガンピはその後、皮をむき、乾燥させ、保管していると自転車に乗って業者が買取にきました。小学生が大人並に稼いでいますね。リバマスさん達は、四万十川流域の豊かな自然の恵みをお金に換えるのも上手です。その他にも山を歩きながらいろいろ教えてもらいました。
6~8月頃に杉を伐採すると上の写真のように皮が巻いたようになる切り株があります。昔の人は、これを元から伐り、繰り抜いて火鉢にして活用したそうです。巻いたところに手を置くと、ちょうど良い感じになるそうです。今でもこうした活用法を知っている人が、知らない間に伐って持って行くそうです。昔は、これを商売にしていた人もいたとのこと。
ウラジロと呼ばれるシダ。正月に使う門松に利用。白くなっているウラを向けて使用するそうです。
エビネ蘭。これが高値で売れるんだとか!
台風の後には、スギの枝がたくさん落ちていて、その中にランが自生しているものがあり、それを拾うのも楽しみの一つだそうです。ご自宅で飾っている枝を見せてもらいました。
山脇さんは、「宿泊処 松葉川屋」のご主人でもあり、切り盛りは奥さんと娘さんがされていて、ペットと泊まれる宿として人気があります。明治時代からある梁を見せる天井になっていたり、魚梁瀬杉のテーブルがあったり、家紋のステンドグラスも入っています!タイミングが合えば、山脇さんから山や川のことを教えてもらえるかもしれませんよ!
山脇さんご一家のお人柄がうかがえるのが、ネコちゃんの存在。保護したネコちゃんが現在10匹もいるのです。以前お邪魔した時に、テーブルの上座に堂々と鎮座して出迎えてくれたのが下のネコちゃんでした!その時の写真がなくて残念!
何事も、いつもあったかく対応してくださる山脇さんご一家なのです!今回も取材にご協力いただきありがとうございました!
取材を終えて…
山脇さんとの最初の出会いは、5年前の高知新聞の連載「山を、どうする?」で私(中平)が載った記事を読んで、電話をかけてくださったのがはじまりです。80年生のヒノキの山があり、「仕上げの間伐をして後は子孫に遺したい」「山は世代間リレー」とのことで、山の手入れを依頼してくださったのでした。有難い話だったのですが、自宅から1時間くらいの距離があり、なかなか着手できずにいました。そうこうしているうちに財団に勤める事になり、職場からは近いということもあって、今年から間伐を始めることになりました。今回、リバマス図鑑の取材を通して山主さんの山に対する想いと歴史をひしひしと感じました。気を引き締めて、よりいっそうイイ山になるように頑張ります!