いつも清流通信をご愛読いただきありがとうございます。今回の清流通信では四万十川流域の働き方に焦点を当ててみたいと思います。最近でこそ”副業”を耳にするようになりましたが、まだまだ一つの仕事に専念した働き方が一般的ではないでしょうか。一方で四万十川流域では、複数の仕事をしながら収入を得る”複業”という働き方が昔から多くみられます。今回は若き複業のエキスパート、財団スタッフ中平光高さんを通して、四万十流ライフスタイルをご紹介していきたいと思います。

きっかけ

 中平さんは、今年4月から財団スタッフになったが、もともとは学習塾の経営、林業、農業、ラフティングガイドと4足のわらじで生計を立てていた。今も林業、農業、ラフティングガイドは続けており、財団業務と調整しながら、他3つの仕事も並行させている。なぜ中平さんはこのような働き方をするのか。そこにはお祖父さんの影響があったという。

中平さんとおじいさまの中平一(かず)さん

「20代は地元で学習塾を経営し、それ一本を収入にしていました。考え方が変わってきたのが30代です。うちの祖父は、昔からなんでもできる人で、農業もできるし、木も切れるし、小屋も自分で建てられるし、なんでも自分で作れるんです。そんな姿を小さい頃から近くで見ていたので、いつかは自分も自然とこうなっていくんだろうなと漠然と思っていました。でも全然そんなことなくて、30代になっても祖父のようなスキルが全然身についていないことに焦りを感じ始めたんです。ちょうどその頃、東日本大震災が起こり、直後に原発安全神話が崩壊しました。その衝撃は大きくて、持続可能な暮らしや考え方を見直す大きなきっかけになりました。そうなったとき、祖父のすごさに気づいたんです。そこで、田舎で自然をうまく活かしながら暮らすことの価値を見直し、ここで暮らしていくためのスキルをちゃんと身に付けようと思うようになりました。」

祖父を目指して

 複業をしようと思って始めたのではなく、おじいさんへの憧れや、田舎で生きていくスキルを身につけたいという思いが今のような働き方につながったようだ。だからこそ、中平さんが目指すのは、おじいさんのような人になることなんだそうだ。

「僕の目標は祖父です。なので、祖父が持っていた3つのスキルを身につけたいと思っていました。それが、農業、林業、建築です。まずはじめに取り組んだのは農業でした。昔から母が無農薬で米作りをしていて、無農薬は手間もかかるし、当時は珍しかったようで、地域の人にも変わったことをしていると思われていたようです。それでも母は無農薬にこだわっていました。3.11以降、その価値に気づき、自分でも一から農業を勉強し、無農薬での米作りに取り組んでいます。
 次に始めたのが林業です。ある時、家のリフォームをすることになり、かつて祖父が植えた木を使って直すことになりました。そこで祖父と一緒に木を伐り出したのですが、そこで山に入って作業する新鮮さに魅了されたんです。祖父が僕たち孫世代のために植林をしてきたことへの感謝もありましたし、全身全霊で取り組めばものにできるなという感覚があったんです。そこから半年間、林業だけに打ち込んで、一から勉強を始め、いろんな研修にも行くようになりました。そのなかで大きかったのが、宮崎聖さんとの出会いです。宮崎さんは、まだ技術も未熟な僕に、伐倒などいろんな作業を任せてくれました。そうしてとにかく経験を積ませてもらえたおかげで、林業を生業にすることができたので、聖さんには今でも感謝しています。
 建築については、僕が中学生の頃、祖父が勉強部屋にと僕のために小屋を建ててくれたことがありました。大人になってからも、もともと祖父が仲間と飲み会をするために建てた小屋に6年くらい居座りました。祖父が建てた飲み小屋を観察しながら建築を勉強しようとしたんですが、専門用語も難しいですし、建物の構造への理解もなかなかうまくいきませんでした。そこで、土佐山アカデミーが企画した建築のワークショップに参加し、高知市の足利成さんに出会い、これが建築を学ぶうえで大きな出来事になりました。足利さんは1人親方でやっていて、すべての作業をお1人でする方なんです。十和にも来てもらって、一緒に家を直したりして経験を積ませてもらうことで、リフォームや家に関する考え方を教わりました。その経験を活かして、約10年の間に身内の家を4軒リフォームしたんですが、これは生業にはなってはいないですが、かなり節約には繋がっているんじゃないかなと思います。ある程度のことはできるようになりましたし、小屋レベルであれば自分でも建てられるようになりました。今はまだ構想段階ですが、空き家を改修して民宿にし、都会からお客さんを呼んで木の伐採とラフティングを体験するツアーをふるさと交流センターと連携して企画していきたいと考えています。」

中平さんのお米や製品はふるさと納税の返礼品に出品されている。気になった方は以下のリンクからチェックしてみてほしい。
無農薬米(森ノヒカリ・川ノヒカリ)
薪・ヒノキのベンチ

新たな挑戦

 農業、林業、建築もできる中平さんだが、さらにもう一つの顔を持っている。ラフティングガイドだ。2年前に地元のガイドから誘われたのがきっかけだったというが、最初の練習は衝撃的なものだったという。

 「初めての練習で、そのガイドさんと一緒に実際に使っているコースを下ったんですが、難所で回避行動がとれずひっくり返ってしまったんです。ガイドさん曰く、わざと何も言わなかったそうなんですが、ボートの下に潜り込んでしまって、パニックになったのを覚えています。それでもやりたいと思ったのは、子どもの頃の思い出が大きいですね。昔はボートの貸し出しのみで、ガイドツアーはやってなかったんです。そこで、小学生の頃、友達とみんなでお金を出し合って、子どもだけで川下りをしました。今ガイドツアーで下っているコースと同じコースを下っていたので、今考えたら危ないですし親もよく許してくれたなと思うのですが、当時はそれが楽しくて仕方なくて、スリリングな夏の大冒険として今でも鮮明に覚えています。その経験があってガイドを始めることにしたのですが、今ではもうどハマりしていて、一番好きな仕事です。」

ラフティングのガイドをする中平さん

 ラフティングガイドは、お客さんが楽しんでいる様子をダイレクトに感じられる。自分の好きなことをしながら、お客さんにも喜んでもらえる。そしてお金ももらえる。こんなに楽しい仕事はないと中平さんは話す。また、変化に富んだ四万十川のフィールドも最高なんだとか。激流を抜けるとゆったりとした流れになり、また下っていくと複数の岩が行く手を阻み、どう岩の間を抜けていこうかと試行錯誤する。これが楽しくて仕方ないそうだ。

 「どれだけ疲れていても、ラフティングをすると不思議と元気になるんです。なので、僕にとっての天職だと思っています。財団に入ることで、ガイドができなくなるんじゃないかと思っていたのですが、この夏も業務と調整しながらガイドに出ることができたので、よかったなと思っています。」

中平さんの昨年の年間スケジュール

複業のメリット

 勤務時間が決まっていたら、時間的余裕がなかなか作れないかもしれないが、中平さんは自営業ということもあり、スキルを身につける時間を作りやすかったのも、複業をする要因になったのではないかという。若いうちに会社に属さずに野良でスキルを身につけて、40代で会社に勤めるのも一つの働き方なのではないか。今となってはそう考えるようになったそうだ。
 さて、20代の頃は塾の経営だけで収入を得ていたという話だったが、その頃と比べて複業を始めたことでどんな変化があったのだろうか。

「やはり1つの仕事がうまくいかなくても他の仕事でカバーできるという安心感があります。昔は塾一本で、少子化が進み、これから生徒数がどんどん減っていくことが予想されることもあり、不安も大きかったのですが、今は地に足が付いた暮らしができているという感覚が安心感につながっていると思います。特に林業は木を切るか切らないかなので、収入の調整がしやすいんです。他で稼げているときは無理に切らずに木を育てることができる、ある意味複業だからこそ、山に負担をかけない林業を目指すことが出来るとも思います。」

今後の目標

 実は中平さん、興味が3年ごとに移り変わるタイプらしく、3年くらい集中して取り組んで、ある程度マスターしたら満足してしまう、そんなタイプなんだという。器用貧乏だと本人は話すが、短期間でいろんなスキルを身につけ、仕事にできるのはご本人の言う通り器用なのだろう。また、震災以降に生き方を見つめ直し、四万十の豊かな自然に自分をマッチさせた働き方が今のスタイルにつながっており、そのなかで四万十川財団に入ったことも、本人の中では自然な流れになっていると話してくれた。(ぜひ3年と言わず、長く財団には関わってほしい。よろしくお願いします。)新しいことにチャレンジし続けている中平さんだが、今後どんなことに取り組んでいきたいと思っているのだろう。

「財団のミッションとして、山や川の保全がありますが、今まで林業をやってきたなかで、山の保全というよりも、生活の糧を得ている感謝や、自分で伐りだした木材を使って、それを暮らしに取り入れる豊かさを感じていました。なので、保全という視点はあんまりなかったんです。今は清流通信の取材や研修など、財団でさまざまな経験を積ませてもらっているなかで、四万十川の保全につながる林業とは何か、考えているところです。財団では森林担当でもあるので、山の保全につながる取り組みを作り上げていきたいと思っています。上司とも相談しているところですが、まずは山に関わる人を増やすこと、裾野を広げていくための取り組みを考えていきたいです。僕たちが子どもの頃は、自然のなかで遊ぶのが当たり前でしたが、今の子どもたちは、山や川に触れることが難しくなっているのではないかと思います。これは四万十川の保全にとってとても危ういことで、子どもの頃に自然のなかで遊ぶ経験がないと、将来、川や山の保全に正しく向き合うことが出来ないのではないかと思うんです。これまで、農業・林業・ラフティングガイドとさまざまなスキルを身につけてきました。これらのスキルを活かして、四万十川の保全に活かしていきたいと思っています。大変おこがましい言い方ですが、僕のように田舎で自然と向き合う仕事を取り入れた複業というスタイルは、本人が意図せずとも四万十川の保全に自然とつながっていくのではないかと感じています。
 あとは、精神的な面では、いかに自分を偽らずにストレスなく自然に振舞えるか、精神面での成熟を目指したいと思っています。」

 農業もするし、林業もする、工作も得意で自分で何でもしてしまう、そんな百姓のようなスキルを持った人が田舎にはたくさんいると思う。十和はどこへ行くにも遠く、商売も決して有利な条件とは言えない。そんな環境だからこそ、自然に合わせた暮らしに自ずとなっていったのではないだろうか。都会のように店に行けば何でも手に入る環境も便利ではあるが、ひとたび災害が起きれば、物流は止まり、何も手に入らない状況に陥ることも予想される。身近にある自然から素材を得て、自分で生み出しながら暮らしてきた田舎だからこそ培われたスキルであり、それは災害時で生き抜く糧になるだろう。

 今回、中平さんの複業という働き方をみてきたが、どうだっただろうか。複数の仕事を抱えているのでとても大変なのではないかと思っていたが、自分で調整しながら仕事ができ、とてもストレスなく、なにより楽しんで仕事をしている様子が伝わったのではないかと思う。なかなか時間のない中で、いろんなことにチャレンジしていくのも難しいかもしれないが、中平さんのような働き方が選択肢の一つになったらいいと思う。中平さん、これからもよろしくお願いします。

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