西村 守夫(にしむら もりお)

西村 守夫さんの基本情報

・昭和23年9月生まれ

・大野見出身

・四万十川上流淡水漁協組合員

西村さんの少年時代

西村さんの川漁の記憶を辿っていくと、小学5年生から始めた延縄漁だと言う。周りの大人がウナギを獲っているのを見てやり始めた。夜、ガスランプを持って川に行くと「ソーメン流しぐらいおった」と冗談のような話。自分で獲ったウナギが当時はご馳走で、ブリやクジラ肉の行商が来てよく食べさせられていたが、あまり好きではなかったらしい。

中学生になるとカナツキでアユを獲り始めた。アユがどれくらい沢山いたかというエピソードが面白い。なんと、一突きで同時に3匹獲れたというのだ。魚影の濃さが現在とは較べ物にならないのがよく分かる。1日30匹くらい獲って、食料として食べた。ハコウエも始めた。板で自作したそうだ。それを仕掛けて、翌朝見に行くと、水が出ないくらいウナギが詰まっていたそうだ。

西村さんオリジナルのハコウエ。スギ板でシンプルな構造で作られている。

残念ながら現在はウナギも少なくなって、獲るのも至難の業だ。それでも流石なのは、獲りたいときにしっかり獲る。毎年ウナギが入る穴を把握していて、東京からお孫さんが遊び来るまで、獲らずにとっておくそうだ。お孫さんが来ると、一緒にミミズを掘り、それでエサにするモツゴを釣って、満を持して延縄を仕掛ける。下の動画は、今年お孫さんと獲った見事な大ウナギで、950gもあったそうだ。炭火焼で、みんなで美味しく食べたという。

去年は1200gのウナギも獲ったという。そちらも動画を提供していただいた。

川遊びについても伺ったが、西村さんは慎重派で「てんぽ(注:無茶なこと・向う見ずなこと)」な事はしなかったらしい。思い出に残っているのが竹で筏を作って遊んだ事だが、長い距離は下らなかった。というのは、昔は水量が多く流れもきつかったらしい。そして、浅かったところが深くなったりと、川の環境がよく変わっていたらしい。今の四万十川は、水も少なく、砂利が流され底の岩盤が見えてしまっていて、昔のような環境の変化が無くなったという。では、流された砂利はどこに行ってしまったのか、その一例として大野見にある天満宮キャンプ場の下流にある堰を紹介していただいた。

昔は、深かったが今は浅くなった。上空から見ると、確かに砂利が集まって浅くなっているのが分かる。川をよく知る西村さんには、こんなエピソードもある。ある時、工事で余った置き石を、「僕が責任をとるから」と言って、砂利流出を止めるために川に入れてもらったというのだ。長年、川を見守ってきた西村さんの信念を感じる。

狩猟との出会い

西村さんにはもう一つの顔がある。中学卒業後、奈良県の鉄工所で務めた。20歳になるのを待って、猟銃を買ったそうだ。西村さんが生まれ育った大野見地区では一家にひとつは猟銃があって、自分も大人になったらやってみたい憧れがあったそうだ。奈良にいた叔父さんの伝手で猟犬(ポインター)を分けてもらい、キジやヤマドリなど飛鳥専門で狩猟をした。これまでポインターやセッターを7頭も飼ったという。

猟犬を沢に離して鳥を追わせると、鳥は時速90kmくらいで飛んでくるという。普通の人にとっては一瞬で、「あっ」と見て終わりだが、西村さんは天性の反射神経でそれを一撃で仕留めるのが得意。

奈良県で行われたクレー射撃の大会では、第1Rは23/25、第2Rは24/25発を命中させ、優勝したほどの腕前なのだ。A級ライセンスをもつ人にコツを教えてもらってから、格段に上手くなったという。恐らく、教科書には載っていないコツというか奥義なのかもしれない。川漁にしても、こうした伝統や技術を受け継ぐ人がいないことに危機感をお持ちのようだ。

罠にかかったイノシシを見つめるお孫さん。

しかし希望はある。東京で暮らすお孫さんの存在だ。東京で「大野見にいつ帰る?」「大野見にいつ帰る?」とびっしり(いつも)言うらしい。何でも知っている西村さんのことを「博士」と呼び、どこでもついて行く。ミミズを捕る所作も西村さんとそっくりとのこと。上の大ウナギの動画もそうだが、おじいさんの優しい眼差しに見守られながら、四万十の自然の恵みを食べ、嗅ぎ、 触れるといったを原体験をもてるのはなんて貴重だろう。財団の大人塾・川漁体験ように、若い人たちにドンドン体験させる事が継承に繋がっていくと西村さんはいう。

最後に今後の抱負を伺った。

西村「漁協に25年在籍して、年間100羽のカワウを駆除していますが、四万十川のアユの保全のためにこれを続けていきたい。」

西村さんが猟を控えると、どんどんカワウが増えていくという。周りからは「早く撃て」と言われるらしい。年齢を重ね、反射神経も鈍ったというが、四万十川になくてはならない存在だ。