岡田 勇進(おかだ ゆうしん)

勇進さん

岡田 勇進さんの基本情報

・古いモノがとにかく大好き

・大正地区大奈路出身

・建具屋さんやトラック運転手をしていた(真の目的は古物収集に走り回っていた可能性あり!?)

・看板嫁!?の「スナック喫茶あき」が有名

「私が社長やけん!」女・川漁師のあきちゃん

奥様の昭代さん、愛称は「あきちゃん」
「見せて」と言われて、10枚以上撮った写真の中で、あきちゃんと一緒に選んだベストショットをどうぞ!

リバマス・勇進さんと言えば奥様のあきちゃんを紹介しないわけにはいかない!なんでも、10年前に勇進さんが振動病を患ってからは、あきちゃんが川漁をしているのだとか。「私が社長やけん!若い衆(わかいし)らあに指図してやってもらう。女やけんどエライぞお。」と誇らしげなあきちゃん。ご専門は四万十川伝統漁法の火振り漁。地元では「フチオキ」とも言います。

所有する舟は5艘、一晩に27枚もの刺網を仕掛けるそうです。操船は「若い衆(わかいし)」を雇い、「5人雇ったら5つお弁当を作ってね、食べらしちゃりよる。河原で食べると、どんなもんでも美味しいがやけん。おにぎり一個でも美味しいもんね。」と豊かな人脈が垣間見えます。そんなあきちゃんにフチオキの楽しさを聞いてみました。

あきちゃん「アユが網を引っ張る手ごたえが楽てしゅうてたまらんけん。網を入れるのも上げるのも私じゃないとイヤなが。上げる時にはアユがキラキラ光って、ツンツンと何とも言えん手ごたえがあるがよ。ほんで好き。私が引っ張ったらアユも引っ張ってくれるけんねえ。女の人でアユを獲りようがは私だけじゃない?ここら辺にはおらんもん。おじいちゃん(勇進さんのお父さん)に連れて行かれよった頃は、何十キロもアユがかかってねえ、臭いし、イヤと思いよったけんど、自分でやりだしたらひとつも臭うない。ほんで勝手なわえねえ(笑)。」

Q.ハプニングはありましたか?

あきちゃん「お父さん(勇進さん)に『深いところに網を入れる時は、取れんなるけんヤナギとかに括り付けんといかんけんど、その時によう飛び込むけん気いつけよ』て言われちょったけんどよ、『早よせえ早よせえ』、舟漕ぎの人に言われるもんやけん、案の定、(川に)そのまま飛び込んでしもうた。『真っ暗闇にあきさんが飛び込んだ!』言うて大騒ぎになったがで。いろんなハプニングがあるけんど、フチオキが好きやけん、獲れても獲れんでも行きたいがよ。」

Q.モチベーションはどこからやってくるのですか?

「何でも人が寝よう頃に努力せんことには美味しいモノは食べれんけん。人が寝よう時に苦労して骨を折って、ちゃんとアユを袋に入れて冷凍せんといかんきね。今、私は売るよりもお中元やお歳暮で配る方が多い。それに欲しいけん行くが。みんなが待ちようもん。」

去年、四万十川は近年稀にみるアユの不漁でした。あきちゃんも漁には1回しか行けず、3kgしか獲れなかったと残念そう…。それでも「漁は水物やけんねえ、また今年頑張ろう思いようがよ。」と明るい。「今年も話し合おうよ。獲れようか!?言うてねえ。」と電話番号を交換してお別れした。

子どもの頃から古いものがとにかく大好き!~勇進さんのコレクション

続いて、勇進さんにお話を伺いました。とにかく「古いものが大好き」で、子どもの頃から四万十川流域の矢じり、石さじ、土器の欠片などを集めては宝物にしていたそうです。

延縄漁など使われていたと思われるオモリ石。両側が欠けていて、縛りやすくなっている。

延縄漁などで使ったと思われるオモリ石を見せながら「よう欠いて、こさえちょうろぉ(作っているでしょ)?こんなが見つけたら楽しいで!」。勇進さんは「四万十川流域には、大昔のことが昨日の事のように分かる形跡がいっぱいあるがよ。」と、当時の暮らしに想いを馳せながらキラキラした瞳で話してくれます。

勇進さん「四万十川流域の河口から源流域まで、日当たりが良い場所は人が生活していた形跡があってねえ、四万十川の恩恵で魚とか動物が獲れて、暮らしやすかったがやろうね。江師や木屋ヶ内みたいに日当たりの良くて水の便利が良い場所は、縄文時代から人が住み着いた形跡があるがよ。」

30年程前には、幡多埋蔵文化財研究所の木村剛朗先生と一緒に、四万十川流域を調査したそうです。高知県の縄文遺跡は、四万十川流域に圧倒的に多いと言います。当時の人々にとって、生きていくための環境が他の地域に比べて優れていたという事でしょう。四万十川流域は、当時は(も?)一等地だったのかもしれません。

勇進さんのコレクションは土器だけではありません。まずは、建具屋も唸らせた欄間からいきましょう。10㎝前後の厚い板で彫られていて、心をくすぐられたようです。実は、勇進さんは建具屋さんの2代目で、お客さんの家に建具を入れに行った際に買ってきたそうです。あきちゃんから「そんなもん買うてきたらいかん!」と怒られたのは言うまでもありません。

次に「女房にナイショで買うた」という、榧(カヤ)で作られている最高級の碁盤と欅(ケヤキ)の一枚板。欅の板は、それを台にしてお酒を飲んでいた人達に「飲み終わったらその台を僕に譲ってくださいや」と声をかけ手に入れた品。中古車が買えるほどの投資だったようで、「のちに値が上がる」そうだ。

まだまだお付き合いください。次は高知県の版画美術の草分け的存在で、旧・窪川町(現・四万十町)出身の坂本義信の原画。代表作『土佐三十絵図』は戦後50部刷られ、 現在その所有がわかっているのは数部にすぎないと言われています。勇進さんは、その貴重な一部を持っています。「展示するところがあったら展示したらええねえ。」とおっしゃっています。

まだまだございますが、残りは写真のみ掲載させていただきます!興味のある方は、「喫茶あき」に行けば、勇進さんがきっと喜んで紹介してくださると思います!

さてさて、勇進さんの古いもの好きはモノだけではありませんよ。四万十川流域の淵や大きな岩には名前が付いているものがたくさんあるそうで、昔から固有名詞で呼ばれ、情報共有に役立っていたそうです。勇進さんからこんな提案がありました。

勇進さん「淵や岩の名前を今のうちに聞き集めて、冊子をこさえたらええと思うけんどねえ。ここら辺でもオショウブチとかイッタンバエとかアカンバエ、いろいろ名前がついちょって、どこかすぐに分かりあえた。今の若い人は(固有名詞で)呼ばんもんねえ。」

だんだんそういった固有名詞で呼ばなくなりつつあるのは残念な感じがしますね。私たちがそれだけ川との関りが薄くなった証拠なのかもしれません。モノだけでなく、言葉にさえも価値を見出し、残そうとする勇進さん。勇進さんのキラキラとした瞳には、私たちには見えていない輝きが見えているのかもしれません。