中町 博信(なかまち ひろのぶ)

「なかまちっ子」に囲まれた中町さん(真ん中)

中町 博信さんの基本情報

・相去(あいざれ)地区の要

・四万十町 大正地区相去出身

・20年前に静岡から相去にUターン

・無農薬・無肥料の水稲栽培の達人 栽培歴20年

無除草剤・無農薬・無肥料の水稲栽培 20年目の大発見なるか!?

静岡県で30年以上、大手自動車メーカーのエンジニアとして勤め、20年前に生まれ故郷の旧・大正町相去地区にUターンした中町さん(73)。帰ってきて感じたことは、四万十川の支流・相去川と松尾川がヨセだらけになっていた事。変わり果てた川にさらに農薬まで流したくはないという思いや、慣行農法との差別化を図るため、無農薬・無肥料の水稲栽培を開始した。2反の圃場から始め、最初の5年はただ黙々と試行錯誤が続いたという。本もたくさん読み、「やり尽くした」という。しかし、教科書通りに行かない事も多く、土地に合ったやり方の模索が続く。昨年までは、手押し型の田車や自作の水田除草機をメインとした除草対策を続け、2反から始めた無農薬の米作りは、現在1町3反にまで拡大させた。

エンジニアだった経験を活かした、自作の水田除草機

無農薬の米栽培は、草との苦闘でもあるが、去年、独自の理論を試験的に試みた圃場で見事に草の抑制に成功したと言う。1回も草を取らなくて済み、実際に米も良くできたそうだ。全ての田んぼで再現できれば、素晴らしい発見になる。今年からその方法を全圃場に広げるそうだ。お聞きした理論を簡単にまとめる。

・稲刈り後から12月まで湛水し、水中に生える草を生やす。

・水を抜き、乾燥されれば水中に生える草は絶える。

・次に土の状態を畑のようにするため、1月間隔でトータル3~4回耕耘する。稲わらや稲株の分解も促進される。

・畑に生える草を絶やす。

・田植え1週間前には圃場に水を入れ、通常通り田植えを行う。

なかまちっ子クラブ誕生

最初は独り黙々と取り組んでいた米作りだが、5年を過ぎた頃から仲間づくりが始まる。仲間たちとの話し合いの中で、個人では圃場を借りるのが難しく、米作りをしたくても出来ない人達がいる事に気づき、そんな人たちに来られる時に自由に来てもらい、一緒に米作りを行うようになった。

作業に来た日の割合で平等に収穫した米を分け合う。現在では参加者の多くが、ほぼ1年食べる分の米を確保できると言う。これがとても好評で「なかまちっ子クラブ」と呼ばれるようになった。中にはノウハウを身につけ、自分で米作りを始める人達も現れるようになった。現在は4期目になるが、メンバーはこれまで中町さんのお米を買ってくれていた人が多いそうだ。米騒動の昨今、米を自給できるようになったのは大きなことだろう。

続々と集まってくる移住希望者 〜5年暮らせば土地家屋の無償提供〜

中町さんが独力で建てた小屋。現在なかまちっ子が暮らしている。

中町さんにとって負担はないのか気になったが、お互いにとても良い循環が生まれているようだ。助け合いの精神で、中町さんが個人で作っている田んぼの草刈りを手伝ってくれたり、地域の空いた田んぼをなかまちっ子が担ってくれたりしているそうだ。現在では、米作りだけでなく、中町さんを慕って相去地区に集まった移住者が5世帯もあるとのこと。さらに、5年以上地域と関わりながら暮らした移住者には無償で土地家屋が提供されるという特典まである。

移住者に対する地域住民の反応はどうなのだろうか。中町さんは「免疫がついた」と笑う。最初は余所者扱いで、住民の理解がなかなか得られなかったそうだが、現在では偏見もなく歓迎されていると言う。そんなムードの相去地区には、移住希望者が後を絶たないそうだ。物件を確保するため、空き家はもちろん、空き予定の物件まで中町さんが交渉に入り、賃貸の約束を取り付けているそうだ。地域に活気が出てきて、中町さんのようなUターン者も増えてきているという。

森を開発してビレッジ構想

開発中の山林

中町さんは、物件を確保するため、ご自身が所有する山林を切り開き、4世帯が広々と暮らせる場所を開発中だと聞いたので、案内していただいた。中町さんは「ビレッジ構想」と呼んでいる。山の麓から1kmくらい未舗装の林道をぐるぐる登ると緩やかなヒノキの林に行き着く。間伐が終わったばかりで、明るく気持ちの良い場所だ。土地の造成まで中町さんが行い、あとは移住者自らに住む家を建ててもらうという。

「ここには集会所を建てたい」と言う中町さん

山の麓には松尾川が流れており、夏にはここで涼を取るためのスペースが作られている。(下の写真)

取材を終えて…

少年時代、夏は川、冬は山に入りびたり、当時から親分肌で面倒見が良かったという中町さん。現在もリーダーシップを発揮され、地域の活性化に大きく貢献されているが、決して無理をしているわけではなく、むしろ自然体のように見える。本人曰く「若い人たちとの交流や価値観が違うからこそ面白い」そうだ。地域にたった一人、中町さんみたいな方がいるだけで、活性化できる良い雛形ではないだろうか。