文化的景観とは
2009年2月、四万十川流域の景観が、国の『重要文化的景観』として選定されました。
文化的景観とは、『地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの(文化財保護法第2条第1項第5号)』と定義されていて、棚田や畑地、里山や港、集落など、人々が生活や生業を通じて、自然と関わり合いながらつくりだしてきた景観地のことです。さらに、文化的景観の中でも文化財としての価値から特に重要なものについては、都道府県又は市町村の申出に基づき『重要文化的景観』として国から選定されます。
四万十川流域の5市町(津野町・梼原町・中土佐町・四万十町・四万十市)は「 四万十川流域文化的景観連絡協議会 (通称:文景協)」を組織し、定期的に会合を持ち、文化的景観の保全や活用について協議し、連携して活動しています。私たち四万十川財団はその事務局を務めています。
四万十川流域の文化的景観
3本の線は、四万十川流域の上流・中流・下流、重なる山並みを表現しており、端部でも途切れずにつながっていて一体となっているところが、流域としての総体を表現するものです。
四万十川は高知県高岡郡津野町の不入山(標高1,336m)を源流として、南西に大きく蛇行しながら多くの支流を集め四万十市で太平洋に注ぐ、幹川流路196km(四国第一位)、流域面積2,186㎢(四国第二位)の一級河川です。広大な流域は高知・愛媛両県にまたがり、関係市町村は高知県側が2市5町1村(四万十市・宿毛市・黒潮町・四万十町・中土佐町・津野町・梼原町・三原村)、愛媛県側は1市2町(宇和島市・鬼北町・松野町)に及びます。その支流は30km以上のもの6本、その他大小の支流をあわせると300本を越える多さです。
四万十川流域各市町の文化的景観
津野町の文化的景観 「源流域の山村」
196kmの四万十川は、津野町不入山東斜面にその源を発します。豊かな自然が残る源流域の津野町はそのほとんどが山地で、耕地面積は総面積の2%程度にすぎません。この地形的制約から、各河川の岸から上部の山林までの傾斜地に住宅や耕作地が配置されました。山の斜面に石垣を築いて造成した畑では、かつては芋・麦などが栽培され、現在ではそれが茶畑となって、山間地独特の景観を作り上げています。
また、人と川との生活は治水の歴史でもあります。比較的広い平地をもつ芳生野地区には、水の確保を目的とした“サイフォン式水路”をともなう用水路が整備され、大古味地区では耕作のために北川川の両岸にワイヤーロープを渡した一人乗りの“ゴンドラ”が現役で活躍しています。
口目ヶ市集落では、近世期建築の茅葺寄せ棟造り民家が数棟残され、比較的歴史的集落の地割りや集落構成を残しており、景観構成要素の古民家も多く残存しています。
津野町の文化的景観は、源流域の限られた耕地の中で、石垣や水利施設で効率的に土地を利用してきた里地・里山、山間での渡河や交易の歴史を物語るものと言えます。
梼原町の文化的景観 「上流域の山村と棚田」
四万十川最大の支流・梼原川の源流域に位置する梼原町は、町面積の90%以上を占める森林が地域の生業と深い関係を持ってきました。冬は南国ながらも数10㎝の積雪を見るなど、県下で最も寒く厳しい自然環境の下、人々は農・林産物の複合経営により主たる生業をたててきました。
山間地の代名詞のようなここでは、耕作に利用できる土地が限られていたため、約7割を棚田が占めています。急峻な山肌に開かれた棚田は、堅牢な石垣に守られつつ幾層にも重なっていて、“水守”による厳しい水管理の下、合理的な水利システムによって維持されてきました。町内に数あるその棚田の中でも、特に勾配がきつく枚数も多い「神在居の千枚田」は、“棚田オーナー制度”発祥の地でもあります。
また、町南部には選定申出面積2,433ha余りの国有林が広がり、南部の主要な景観を構成しています。ここは、かつて木材の搬出でにぎわいましたが、国有林の一部は伐採せず風景林や保護林として管理され、人工林と自然林とが稜線を織りなす独特の景観を構成しています。
梼原町の文化的景観は、厳しい自然の中で営まれた林業や、急峻、狭小な土地で営々と続いてきた棚田の耕作によって形成された山村の文化的景観であるといえます。
中土佐町の文化的景観 「上流域の農山村と流通・往来」
中土佐町大野見地区の文化的景観は、四万十川本流沿いに開かれた農地を中心とした区域と、国有林などの山林を中心とした区域で構成されます。
大野見地区の95%以上を占める森林は、藩政期にはお留め山として管理され、明治期には国有林となりました。これらは、明治・大正・昭和の木材需要に応え、次々と伐り出され、四万十川の水運から久礼港、須崎港への陸運で搬出され、地域の経済を支えました。その一方で、天然林の残る島ノ川国有林区域は、天然林の保護や回廊域の複層林化を中心に自然保養区域としても位置付られています。
また、四万十川本流沿いには、中世から堰による灌漑を行い農地を開墾してきた歴史があります。“川は近いが水は遠い”と言われたこの地域には、四万十川本流沿いに12か所ある堰のうちの6か所が集中し、人々が開拓、灌漑に費やした苦難の歴史が伺えます。
中土佐町URL:http://www.town.nakatosa.lg.jp/
四万十町の文化的景観 「中流域の農山村と流通・往来」
四万十川の中流域四万十町の文化的景観は、その特性から大きく、大正奥四万十区域、四万十川中流区域、高南台地区域に区分されます。
大正奥四万十区域は、梼原川下流域にあたり急峻な山地を切り開き段畑や棚田を耕作し、林業に生業を求めてきた地域です。この地域は、明治から昭和にかけて近代林業の拠点として生長してきました。
四万十川中流区域では、川は大きくS字を描くように穿入蛇行しながら山間を流れます。四万十川流域では、林業の繁栄と共に河川流通が発達しましたが、本区域の河川沿いの集落は豊富な水量をもとでに、四万十川の流通・往来を支える重要な役割を担ってきました。そのため、木材の搬出を担った筏師など、河川流通に生業として関わった人々が多く暮らしていた地域でもあります。
高南台地区域は、“仁井田米”に代表される県内有数の穀倉地帯です。四万十川本流の水資源を利用した開拓と灌漑により広大な水田が開かれており、生み出された冨の集積は、門前町としての窪川の発展を促し、商業を基盤とする都市的な営みを生み出しました。
四万十町文化的景観URL:http://www.town.shimanto.lg.jp/outer/bunka/
四万十市の文化的景観 「下流域の生業と流通・往来」
「四万十川流域の文化的景観 下流域の生業と流通・往来」は、豊かな自然環境と、農林業によって形成される多様な土地利用、流通・往来の営みによって生み出された文化的景観です。四万十市は四万十川の最下流に位置し、文化的景観は黒尊川区域、下流区域、河口区域の3つの区域で構成されます。
黒尊川流域は広大な森林資源を有するエリアで、四万十川本川との合流部に位置する口屋内では、支流からの木材搬出や上流域との物資輸送において中継地として機能した集落の姿を見ることができます。
下流区域では、豊富な水量と広い川幅や河原が火振漁などの漁場を形成するなど、人と川の密接な関わりが景観をかたち作っています。
河口区域では、河口に広がる汽水域に豊かな生物相が育まれ、川魚や藻類の生産を含む生業の場として利用されています。河口部に位置する下田地区は、中世から積み出し港として発展し、町の成り立ちを示す街区や豪商が暮らした建物の一部が残る港町独特の景観が形成されています。
四万十市URL:http://www.city.shimanto.lg.jp/