大水の時には水面下に沈む欄干のない橋“ 沈下橋(ちんかばし) ”。水面までの距離が短いので、その橋の上に立てば水の様子がつぶさに見て取れます。
全国にもある沈下橋
今でこそ四万十川の代名詞のように取りあげられる沈下橋ですが、潜水橋・もぐり橋・沈み橋などと呼ぶ地域もあり、実は全国に散在します。平成11年に高知県が全国の一級河川及び支流を対象とした沈下橋保存に関する調査(回収率100%)を行ないました。その結果、全国に410の沈下橋が現存し、高知県以外では、三重・徳島・大分・宮崎県に多くあることが分かりました。また、その呼び名は、「潜水橋(せんすいきょう)」が最も多く、「もぐり橋」が続き、「潜没橋(せんぼつきょう)」や「潜流橋(せんりゅうきょう)」、「沈み橋」という県もありました。同時に行なった調査によると、保全の動きや保全計画は他府県にはなく、沈下橋は徐々に撤去の方向にあります。
なぜ、四万十川に沈下橋が多いのか?
上記調査によると全国の410カ所のうち60以上が四万十川流域にあります。
ではなぜ、四万十川には沈下橋が多いのでしょうか?
四万十川本流の沈下橋のうち、一斗俵沈下橋(旧窪川町)と里川沈下橋(旧十和村)を除いたすべてが、昭和30年代以降に架設されていて、それは流域の交通手段が筏・センバ舟・高瀬舟などの水運から、車・トラックの陸路に変わったことと大きく関係しています。高度経済成長期を迎えインフラ整備が急がれる中、橋脚が低く、欄干がなく、橋長も短い沈下橋は、建設費を低く抑えることが出来たため、高知県内河川で多く採用されました。
四万十川の風景としての沈下橋
沈下橋は、自然と調和した構造物として、四万十川の魅力を形づくっている重要なもので、生活文化遺産として原則、保存することとしています。
その後、いくつかの沈下橋は取り壊されたり抜水橋などに取って代わられるのですが、高知県では1998年7月、沈下橋が生活・文化・景観・親水等の観点から重要な役割を担っていると考え、「防災上、維持管理上支障のない沈下橋は保存を基本とし、生活道に加え生活文化遺産として後世に引き継ぐ」とした「四万十川沈下橋保存方針」を策定し、四万十川の沈下橋は、重点的に保存・維持管理の方針がとられることとなりました。この「四万十川沈下橋保存方針」の対象となる橋は、四万十川にある60余りの沈下橋のうち、市町の道路・農道・林道台帳に記載され管理者がはっきりしているもので、本流に22橋、支流に26橋の合計48橋です。
沈下橋は集落と集落をつなぐ生活道として、憩いの場として、また夏場には子供達の遊び場として、流域の人々の生活に無くてはならないものであり、その自然と調和した構造物は、四万十川の景観を彩る重要な構成要素の一つです。
個々の沈下橋について知りたい方は、「沈下橋名」をクリックすると紹介ページに移動します。また、下記PDFデータからは調査データがご覧いただけます。
四万十川沈下橋一覧
沈下橋名 | 架橋年度 | |
一斗俵沈下橋 | 昭和10年 | 一斗俵沈下橋:いっとひょうちんかばし |
木屋ヶ内橋 | 昭和28年 | 木屋ヶ内橋:きやがうちばし(沈下橋) |
里川橋 | 昭和29年 | 里川橋:さとかわばし(沈下橋) |
屋内大橋 | 昭和30年 | 屋内大橋:やないおおはし(通称:口屋内沈下橋) |
中平沈下橋 | 昭和31年 |
通称:中平沈下橋:なかひらちんかばし |
上宮橋 | 昭和32年 | 上宮橋:じょうぐうばし(沈下橋) |
小崎沈下橋 | 昭和32年 | 小崎沈下橋:こざきちんかばし |
ナロノ橋 | 昭和32年 | ナロノ橋(沈下橋) |
一ノ瀬橋 | 昭和33年 | 一ノ瀬橋:いちのせばし(沈下橋) |
中古屋橋 | 昭和34年 | 中古屋橋:なかこやばし(沈下橋) |
小津賀橋 | 昭和34年 | 小津賀橋:こつがばし(沈下橋) |
半家橋 | 昭和35年 | 半家橋:はげばし(沈下橋) |
長生沈下橋 | 昭和35年 | 長生沈下橋:ながおいちんかばし |
川角橋 | 昭和35年 | 川角橋:かわづのばし(沈下橋) |
沖下沈下橋 | 昭和35年 | 沖下沈下橋:おきしたちんかばし(通称:上深田沈下橋:かみふかたちんかばし) |
タニガミ橋 | 昭和36年 | タニガミ橋(通称:留ヶ奈路沈下橋:とめがなろちんかばし) |
三里橋 | 昭和38年 | 三里橋:みさとばし(通称:深木沈下橋:ふかきちんかばし) |
向山橋 | 昭和38年 | 向山橋:むかいやまばし(通称:上岡沈下橋) |
向弘瀬橋 | 昭和38年 | 向弘瀬橋:むかいひろせばし(沈下橋) |
長野橋 | 昭和39年 | 長野橋(沈下橋) |
久万秋橋 | 昭和39年 | 久万秋橋:くまあきばし(沈下橋) |
寺野橋 | 昭和39年 | 寺野橋:てらのばし(沈下橋) |
若井沈下橋 | 昭和40年 |
若井沈下橋:わかいちんかばし |
高樋橋 | 昭和40年 | 高樋橋:たかひばし(通称:大股沈下橋) |
清水大橋 | 昭和40年 | 清水大橋(沈下橋) |
金刀比羅橋 | 昭和40年 | 金刀比羅橋:こんぴらばし(沈下橋) |
勝間橋 | 昭和40年 | 勝間橋:かつまばし(通称:鵜ノ江沈下橋:うのえちんかばし) |
岩間大橋 | 昭和41年 | 岩間大橋:いわまおおはし(沈下橋) |
第一三島橋 | 昭和41年 | 第一三島橋:だいいちみしまばし(沈下橋) |
上長瀬橋 | 昭和41年 | 上長瀬橋:かみながせばし(沈下橋) |
第二三島橋 | 昭和42年 | 第二三島橋:だいにみしまばし(沈下橋) |
白王橋 | 昭和42年 | 白王橋:しらおうばし(通称:松ヶ谷沈下橋まつがたにちんかばし) |
新谷橋 | 昭和45年 | 新谷橋:しんたにばし(通称:芽吹手沈下橋:かやぶくてちんかばし) |
大平橋 | 昭和45年 | 大平橋:おおひらばし(沈下橋) |
今成橋 | 昭和46年 |
今成橋:いまなりばし(通称:佐田沈下橋) |
高瀬橋 | 昭和48年 | 高瀬橋:たかせばし(沈下橋) |
石藪橋 | 昭和48年 | 石藪橋:いしやぶばし(沈下橋) |
仲間橋 | 昭和48年 | 仲間橋:なかいだばし(沈下橋) |
下津賀橋 | 昭和48年 | 下津賀橋:しもつがばし(沈下橋) |
新道橋 | 昭和50年 | 新道橋:しんみちばし(沈下橋) |
中半家橋 | 昭和51年 | 中半家橋:なかはげばし(沈下橋) |
竹の藪沈下橋 | 昭和54年 | 通称:竹の藪沈下橋:たけのやぶちんかばし |
仲久保沈下橋 | 昭和58年 | 通称:仲久保沈下橋:なかくぼちんかばし |
平成10年7月 | 四万十川沈下橋保存方針」及び「四万十川ルール」策定 |
架橋年度不明
- 小津賀橋 四万十市西土佐津賀
- 早瀬橋 津野町芳生野
- サワタリ橋 四万十町大正中津川
- テバコ橋 四万十町大正
- 井津井谷橋 四万十町大正
- 岩神橋 四万十市下古尾