四万十川財団旧HP上にあった「四万十まるごと博物館」内の掲示板に保存されていた四万十市蕨岡地区の聞き書きです。聞き書きをした正確な日時も場所も、話者も分からない、いわば不完全なデータですが、それでもここから分かる事もあると考え、アップすることにしました。
詳細は分かりませんが、2000年の12月6日にデータが上げられているので、それからそう遠くない過去に聞き書き作業をしたものと思われます。また、文面等については、手を加えずそのまま転写を旨としました。分類についても当時のものに従っています。( [ ]で示される番号は掲示板の整理番号です。 )
聞き書き 四万十市蕨岡地区
農業・林業に関すること
[258]舞の森(前が森)は明治42年頃から蕨岡の住民で世話をしてきた。100万本の檜を植えた。広さは1072ha、そのうち586haは檜の林である。今は市の所有
[257]舞の森(前が森)の太い木は切りだした。
[253]高知谷には農業用の池が二つある。
[249]昔は部落で一人ずつ田んぼの水番がいた。
[248]昔は川をせき止めて田んぼの水をひいていた。せきは江戸時代からあった。今は揚水機であげている。
[247]大正の初期まで木材は筏で、木炭はせんばで運んでいた。
[239]土佐清水市三崎の次に明治43年頃から耕地整理をする。当時は1反を単位にした。
[211]あらゆる野菜がよいのが出来る 坂谷こずえさん
[180]農業が盛んであった。米(農林22号)味が良い。最盛時には蕨岡だけで10,000俵とれた。
[179]しいたけ・ハウス栽培(内川地区)
[178]お米が美味しい 蕨岡米 やましろという品種 現在は農林22号という
[177]お米・タバコ・イチゴ作りが盛んな所
[176]昔から蕨岡米が美味しい(日の光・22号・十和米) 松岡和代さん
[175]約4丁歩位の水稲を用水池でまかなう。1ヶ月位の日照には当番制で水を大切にしています。 松岡和代さん
[174]香りのある十和錦という米がとても評判が良い。煙草作り1反切で車が横付けでとても便利です。
神社等に関するもの
[256]馬頭観音のお祭りでは馬や牛に願い事をした。昭和の時代で終わった
[252]蕨岡五社 高良神社・荒倉神社・金峯神社・天神社・八幡宮
[250]馬頭観音の祭りでは生きた馬に飾りを付ける。
[241]高良神社・荒倉神社には大きな御輿がある。高良神社には菊のご紋があるところから本尊は天皇らしい。
[229]八幡様 年に2回お祭りがある。五社のおみこしが集まる。楠が2本あったが人家ができたので切られた。
[228]てらんだば(寺駄馬)阿弥陀様(如来)を盗まれないように工事している。
[227]霜月もうし(神祭)各神社へ煮物等をお供えする。(重箱へおせちを入れるように)
地域芸能に関するもの
[255]9月の秋祭りには豪傑踊り(災払い)を子供が踊る。口上がある。
[236]過去の自慢 蕨岡音頭を作成し保・小・中の運動会に歌い踊りすたれる事を知らない。老人ホームでも盆踊りに毎年踊るようになった。鴨居兎女さん
[168]ふれあい音頭(炭坑節の替え歌)作詞 竹内さないさん 76歳 皆で歌って踊る
[167]蕨岡音頭 市で歌詞を募集して正木先生(中村女学校の元音楽の先生)が作曲をした。小学校の運動会でも踊っている。中村市老連で蕨岡音頭を踊り優勝した事がある。
新しくできた構築物に関すること
[254]15年ぐらい前にふるさとホーム(老人ホーム)ができた。他の市町村からも来ている。
動植物に関するもの
[251]小池の谷に近頃ホタルが沢山出るようになり皆さんが見に行くようになった。坂谷こずえさん
[242]江戸時代中頃にこの地区には300頭以上の馬がいた。(山や谷から稲を運ぶために)
[240]昔、鮎は一晩で20キロはとれた。
[173]ハブ草茶(健康茶)におい、味よし
[172]裏山にいのししや猿がいる。いのししは芋を掘ったり田んぼを荒らす。猿は柿を取ったりする。
[171]森岡しげゆきさん 四万十栗を研究して苗を作っている
[170]珍しい植物 ひめゆりが少なくなった(小さい赤いゆり)
[169]藤のもみじ 有名な大きなもみじがあったが40年ぐらい前に国道の道路拡張の為移転したが枯れてしまって残念だ。出征兵士の見送りや英霊をお迎えした場所
自然に関するもの
[246]家庭においてポンプで地下水を汲み上げるのは、川の水の減った原因のひとつではないか。
[245]下分地区は今も水につかるところがある。
[219]蕨岡のダバという所で瓦を焼く土が宅地(人が住んでいない)からでていた。
[199]昔は日照りで稲が枯れた。
[198]湧き水がでる川があった。飲料水や洗濯に利用した。今は公共事業で水路にしたのでなくなった。
[197]水に昔から困ることはなかった。水は地下から湧いてくることが多かったため。
[196]水は井戸水があった。お風呂の水は沢へ汲みにいった。にのうて帰った。
[195]雨が降ったらつかりやすかった。昭和8年から9年の水はえらかった。堤防がきれて土砂が田んぼへ流出 中村市と合併した頃に堤防を改修した
地域の風習に関すること
[238]虫供養の時に雇った人に賃を払う風習があった。
[210]5月はしょうぶの葉を布団の下に敷いて寝る。
[209]門松 松はオン(黒松)とメン(赤松)をしめなわで結ぶ。しだ・竹・ユズリハ
[208]椎の木 家のかまど・便所の四方へ飾る しめなわでくくる。拝んでまわる
[207]1月15日 かなみこさん(百姓は休み) 農機具・くわを祭る。どんど焼き もち・きびなごを焼いた。
[206]百姓の定休日 正月・三月の節句・6月1日・6月15日・7月の盆・8月1日・9月秋祭り・11月一条祭
[205]虫供養(6月頃)虫送りは今でもやっている。昔は休み 太鼓をたたく かたいだ竹は川へ流す
[204]結婚式の時昆布を煮て食べる。(喜ぶといって)来てくれた人にふるまう。
[203]七夕の時は女の神様なのでそうめんを持ち寄って食べた。
[202]正月は若水を川へ汲みに行って顔を洗う
[201]結婚式には鯛を一対煮付けて腹を合わせて出した 昔々の話
[200]お正月をまつる行事 松のオンとメンを立てる。家の門にシイの木をまつる。おしめの木を巻いて、その上にご飯と干し大根と煮物を供えてまつる。
食文化等に関するもの
[194]蕨岡米で作った寿司は中村では一番おいしいと思う
[193]結婚式の時あらしき(鯛の活き作り)を作る。
[192]五社の秋祭り 皿鉢料理 あじの活き作りなど 餅をつく
[191]田舎寿司 巻きずし 太刀魚、あじ、かます
[190]佐岡地区 吉本の鶏卵 その日に生んだたまごを中村・宿毛・大方のスーパー配達している。
[189]夏祭りには(6月)しばもち、ぱんを作る。あくる日に残ったのを焼いて食べるとおいしかった。
[188]みかんに昆布を敷く(代々よろこぶ) おせちには柿・栗・芋等を並べて(黒豆、まめで 栗、くり 柿、とる)と言う。そして酒を飲む。
[187]3月の節句には白酒に桃の花を入れて飲む 5月はしょうぶ酒を飲む
[186]ツガニでガニみそ
[185]麦みそ 各家庭でよく作る。小麦を蒸して麹にして大豆・もち米を煎って粉にして砂糖と醤油を入れて作る。
[184]祭りの時の料理は家で作っていた。夏はしばもち・おまんじゅうを作った。祭りや正月のおもちは皆が一緒に(ねばり)になるようにと言う意味がある。
[183]お客をするのは皆が仲むつまじくなる為で、知らない人が来ても無礼講で何軒もはしごしていた。
[182]鯉の活け作り 冬の鯉はうまい 夏の鯉はうまくない 鯉のいとひき 薄く細く切るタレをつけて食べる(ごま・醤油・味醂・はちみつ・つるし柿) 鯉のたまごを蒸して食べる(ぱあっと花が咲いたようになる)
[181]土佐ジローの卵が栄養がありとても美味しい。 中本鳴子さん
特異な技術を持った人々に関すること(名人芸など)
[166]山本信さん 亡くなってしまったがキジ・ハクビシンなどを剥製にする名人だった(許可をもらって)今は息子さん(幸生さん)が作っている。
[165]入川須賀尾さん 82歳 お産婆さんを長い間していた。蕨岡のお産はほとんど入川さんがとりあげた。(50歳頃まで2・3人の仲間と助産所をしていた)その後は65歳位まで病院で看護婦として勤務した。
[164]鴨居兎女さん 85歳 長い間、民生委員・母子相談員・償還協力員をして市民賞を受賞
[163]森岡邦廣さん 歴史に詳しい(幸徳秋水を顕彰する会会長)
[162]寺田ともさん 71歳 踊りが上手(趣味)
[161]松田蒔夫さん カラオケ名人 西部老人クラブ優勝(市老連)冠次郎が好き未練酒
[160]松田蒔夫さん 鮎とりの名人60歳ぐらいまでしゃくり漁をしていた。得意なスポーツ 軟式テニス(市の大会で娘さんとダブルスを組んで優勝をしたことがある。現在85歳
その他
[244]最近建てる住宅は3階建てが多い。水の心配をしているので
[243]8年前に良心市ができた。市内でははじめてだった。
[237]舞登山を村有林として立派な木々を育て中村市に合併した。村単独でいたら無税の村だったのにと言う人もいた。鴨居兎女さん
[235]中村市歌は蕨岡音頭が出来て何年もたってから蕨岡から市長が出、蕨岡の早川氏の作詞によりイベント・大会の時歌い継がれている。鴨居兎女さん
[234]県下一の運動場があった。(春野ができるまで)幡多郡全部のスポーツ大会を催す。
[233]蕨岡は明治時代田園の区画整理をした。松山道視察に行ったが遠い遠い異国の思いしたとの事。模範村として表彰された。
[232]中村市になってから四ヶ村大運動会があった。具同に行く時はまだ赤鉄橋がない時代で渡し船で行った。鴨居兎女さん
[231]蕨岡には歌人も文学者も多かった。でもこんなに励む人を極道と言う時代、特に我が地区は今の宮尾登美子さん、上林暁氏の様な人材はあったと思うが認められる様な事は知らずに終わった。鴨居兎女さん
[230]蕨岡の人は肺結核になると山の中に小屋を作り隔離した。我が家では下田の浜に転移させた。父は何もない時代家の水を飲ませたくて三升徳利に水を一杯入れて朝三時から荷ない下田に走りに走った。何時間で帰れた事だろう。鴨居兎女さん
[226]大正の末まで青年の集まる建物(とまりや)があった。
[225]独居老人が増えた。後継者が欲しい。
[224]良心市は老人の憩いの場所 40人が出している 値上げをしていない
[223]市内、大阪方面へ皆が出ていってしまい一人残された。
[222]新婚時代は中村市に住む人が多い
[221]昔の酒屋の井戸は共同で汲みに来ていた。今は水道で使用しなくなった。(今はポンプだけ)
[220]大方町にあるユヤの谷で冷泉を売っている。(1タンク100円)よく利用している。
[218]ディサービスは大変良い。この集会所も良い。
[217]若者は辛抱・努力しろ!年寄りは反省の毎日たること
[216]ここは100キロマラソンの出発地点です。
[215]これと決めたらやり通せ やれないのではなくて「やらない」のだ
[214]昔は姑のいいなり さからう事ができなかった。今は嫁と姑の立場が逆転 嫁に気兼ねして生活している。
[213]この集まりが楽しみ 第一・第三水曜日ふれあい談話室(市が補助金をくれる)保健婦さんが血圧を測ってくれたり、昼ご飯を皆で食べる。又、竹とんぼやわら草履の作り方を習ったりする 65歳以上の人
[212]西原享さん(93歳) 昔は木炭を馬車に積んで下田まで荷を出しに行っていた。93歳の現在も元気にゲートボールをしている。