四万十川財団旧HP上にあった「四万十まるごと博物館」内の掲示板に保存されていた四万十町 地吉・古城地区の聞き書きです。聞き書きをした正確な日時も場所も、話者も分からない、いわば不完全なデータですが、それでもここから分かる事もあると考え、アップすることにしました。
詳細は分かりませんが、2002年の8月29日にデータが上げられているので、それからそう遠くない過去に聞き書き作業をしたものと思われます。また、文面等については、手を加えずそのまま転写を旨としました。分類についても当時のものに従っています。( [ ]で示される番号は掲示板の整理番号です。 )
津野町船戸地区 聞き書き
農業・林業に関すること
〔772〕昔、十和村が椎茸の生産率が全国一だった。
〔773〕椎茸の乾燥に古城式乾燥場があった。
〔804〕山の畑のあとに40年ぐらい前から木を植えた
〔808〕十和村でも古城の椎茸が有名だった
〔809〕稲はいなぎで干している(天日干し)
特異な技術を持った人々に関すること(名人芸など)
〔769〕でこ回し(昔、人形をもって各家を回っていた)現在地吉の酒井徳男さんが夫婦が行っている。奥さんが人形になり徳男さんがその人形を回すという芸である。
〔811〕森野新一さん牛鬼の面作り
地域芸能に関するもの
〔786〕でこ(人形)は保管している。昔は実際人形を使っていた
〔788〕牛鬼は元々泥で作っていたが重いから今は和紙で作っている。型の中に和紙を貼り合わせて作っている。骨組みはない。
〔790〕牛鬼が玄関に首をつっこんできてお菓子やさい銭をもらっていく
〔791〕綾踊り(盆踊りのひとつ)
〔792〕五鹿踊り後継者がいない
〔797〕花取り踊りを花とび踊りともいう
〔798〕五鹿踊りの鹿が古くなった(後継者がいないという意味)
〔800〕地域芸能に関するもの牛鬼夏祭り、秋祭りにでる。魔よけの意味。加藤清正が牛鬼を持っていて相手が驚いて逃げて勝った。その牛鬼を愛媛においてあった。
〔812〕でこ回しは正月や結婚式などのおめでたいときにする。酒井さんご夫婦のでこ回しは全国版のテレビにも放映された。
地域の風習に関すること
〔768〕餅つきをするときは、榊の葉を銜えて餅つきが終わるまで一言もしゃべったらいけないという事で、今でも榊を銜えて餅つきをする。
〔789〕七夕の時、物干し竿にする竹を切ったら虫が食わないという。
〔793〕森野さんの家の前の「ハイコエ」と呼ぶところにどんな日照りでも枯れないといわれる水神渕がある。毎年当屋になって水神様を奉っている。
〔794〕水請いの言い伝えは多くちょっと上流の兵部城の真下の谷には「すりばち様」といわれるものがある。
〔799〕「すりばち様」の御神体はすりばちのかけらでこれを日照りの時には黒いかけら、長雨のときには白いかけらを川へ浸して祈った。
〔801〕大念仏初盆のことを「施餓鬼」という。お盆の時に「施餓鬼供養」をする。
〔813〕正月には「わかみず」を迎える
神社等に関するもの
〔766〕昔、古城部落(旧烏部落)に阻石が落ちた。それを星神社として(十川部落)に奉っている。(旧十川村7部落の郷社)
〔767〕星神社の水でなければもち米が蒸せなかったという話があり、今でもそこへ水を汲みに行っている。
〔796〕星神社の当番になったものは祭りになると必ず水汲みに行くのであるが水汲みに行くのに絶対人にあったらいけないという話しがある。
〔815〕星神社の水汲みは昔は早朝に松明をつけて汲みに行った。人に会わないために
〔816〕海津見(わだつみ)神社のことを龍王さんとよぶ。十川部落に奉っている。
食文化等に関するもの
〔771〕子供の頃はさつまいもときびを妙って石臼で挽いたはったい粉(香煎)で生きていた。食べるものがなかったから
〔774〕十和村で一番うまいものは松茸 10月中旬頃からとれる
〔775〕昔はつるいも(さつまいも)がおいしかった。食べるものがなかったから
〔803〕都会では味わえないこんにゃく・とうきびを作っている
自然に関するもの
〔781〕地吉には樹齢800年ぐらいの夫婦杉がある。県の天然記念物
〔782〕長沢川には水の神様に関することが沢山ある。
〔785〕田んぼや畑の石垣が珍しい
その他
〔770〕十和吉野線昔は伊予への幹線道路であった。
〔776〕古城は昔、烏(からす)という地名だったためいじめられた
〔777〕地吉の部落は明治時代160軒あったが現在は50軒ぐらいになった
〔778〕生産した椎茸をもって愛媛に売りに行った。そのお金で塩や魚を買って来る。昔は高知より愛媛へ行った。
〔779〕来てもらえばここの良さは分かってもらえるがきっかけがない。切札として松茸狩りをというアイデアがあるが実行できない。
〔780〕五縁の館は五人ぐらい泊まれる宿泊施設
〔783〕昔はこの前の道が大街道だった(十和吉野線)電気も一番最初に点いた。皆この道を通って伊予へ行った。戦後も利用していた。
〔784〕古城には昔お城があった。
〔795〕昔、古城部落に大蛇が棲んでいた。その後、十川部落(鍋谷)のワロー淵に棲みついていた。
〔802〕大蛇が悪い事をするので今成(川口部落)の坊さんが大蛇を追放しようとお祓いをしたら、大蛇の棲んでいた岩がひっくり返り、その岩は今でも油で拭いたような艶がある。
〔805〕愛媛県から電気もこの街道を通ってきた。
〔806〕和紙の掛け布団使っている。夏は涼しい。接着剤として柿の渋を使っている。
〔807〕星神社の水は古城の水。水が良い。その水をとるところに流れ星が落ちたという言い伝えがある。
〔810〕昔、見張り台があった
〔814〕十川に三好、白川、溝渕姓の伊予の商人が住み着いた。